客から見えない黒御簾の中で演奏する歌舞伎囃子は、下座音楽、黒御簾音楽、影囃子とも呼ばれますが、様々な効果音楽を提供して舞台を彩ります。使用される楽器の種類は多彩で、大太鼓、鼓、かね、笛のほか、チャルメラ、拍子木、張り扇、ハーモニカ、アコーディオンなどまで使われます。
典型的なのは大太鼓の自然描写などが有名なところで、ドロドロと鳴らして亡霊のお出ましの効果音としたり、風音、波音、雨音などをバチ使いで表現し、雨も小ぶりから大雨、風はそよ風から嵐まで、さらにはバチの先を綿でくるんで本来聞こえないはずの雪が降る音まで表現します。シンプルな効果音で季節や時間帯や明るさなどの空気感が変わり、舞台が一気に冬となったところで能管がヒューと鳴れば客席は雪女登場の予感に包まれます。
西洋音楽でも、熊蜂の飛行や鳥の鳴き交わす音を表現したりという音楽はありますが、それは基本的には音の模倣で、歌舞伎囃子の発想はそれとはまた異なるように思います。歌舞伎囃子で作る風の音は、実際の風の音と比較分析しても、類似性はあまりないのではないでしょうか。それでもなお風の音に聞こえるのは、歌舞伎文化を客も共有していることを前提として、演者と客が場を共同創造しているからだと思います。
漫画のコマの中に、「ドカン」とか「ずーん」とか「バシン」とか多彩な描写が出てきますが、あれも似ているところがあって、場の転換や、人の動きや、心理の変動までが、わずかな音で表現されています。これも漫画文化というものを作り手と読み手が共有することで、共同創造が可能になっているように思います。
また日本語には、モグモグとかシーンとか、様々なオノマトペが豊富で、4000から5000もの語彙があるのだそうで、英語にも動物の鳴き声などでオノマトペは存在しますが、語彙数は150くらいだそうで、日本人の音感覚はかなり敏感な方と言ってよさそうです。
これらのことには日本人にとって音とは何かを考える多くのヒントがありそうです。音は、受動的に聞くだけのものではなく、聞き手が能動的に場の広がりを創造するスイッチとして作用しているような気もします。そしてそこにないものを能動的に創造する働きのために、現実を超える臨場感が生まれたり、神や鬼という超現実までも表現できるという効果が生まれているように思います。