福岡県宗像市にある ウクレレ(ウスレレ)&ルネサンスギター工房 一十舎(ittosya) です。
製作のモットーは、あわてず急がずゆっくりと。日本の木をたくさん使おう。楽器を持った人が平和な気分になるように。弾きやすく持ちやすく親しみやすい楽器を。初心者も安心、プロも満足。身近に寄り添う一生の友達になれるような楽器を。
というのが大体の方針。
それから、ブログでは、世界じゅうの庶民的な音楽の歴史や文化を、気の向くままに書き散らかします。何を書くかは書き出すまで自分でもわからないという、なぞ方針。
一十舎の歴史は大体こんな順番です。☟
・一十舎あるじは、子供のとき、飛行機のプラモデル作りが好きで、もの作りをしていると幸福のど真ん中。
・ものつくりと関係ない勤め人になりましたが、余暇はいつも何か作っていました。
・ある日ある時、ハワイから10歳のユダヤ人男子、Kevan君がホームステイに来て、ウクレレ一本がお土産で、私とウクレレがはじめて交錯。KALAの一番安い合板ウクレレでしたが、素敵な音に目がきらり。
・数年後、お勤めやめたあ~。
・かんな、のこぎりなど、木工を習い始めて、家具作りの練習練習。
・ある日ウクレレ作りの先生に出会って、目がキラリ。
・ウクレレ作りの練習練習。いろんな形や厚みで試すが、なんか求めてる音じゃないんだよなあ~という日々。
・サイド材を間違って小さく切ってしまって、えいこの小さくなっちゃった材で作ってしまえと作ったら、ウスレレになっちゃって、ポロンと弾いたら、「あー、求めてた音だあ」、と目からうろこ、耳から金魚。それまでボディ大型化の方向で音探しをしていたのですが、正反対の方向にあったのでした。
・令和の声とともに、アトリエ一十舎の名前に決めました。一から十まで森羅万象、マイナスとプラスで陰と陽、みたいなイメージ。
・友人との会話や、様々な出会いで、ウクレレでも古楽器的スタイルにだんだん寄っていきました。
・令和2年、宗像市に工房移転。窓から山の緑がいっぱい。庭にいたちとアナグマと猫が出た。
・古楽器奏者の岩田耕作先生から、ウクレレの最古の祖先と考えられるルネサンスギター製作を勧められて、ルネサンスギター製作開始。岩田先生とコラボで、楽器開発するようになる。
・古楽の世界の人々と交流が多くなり、ウクレレとルネサンスギターの二刀流の日々へ。さらに、世界の楽器や音楽の歴史と文化全体について関心領域が広がり、ブログにいろいろ書くように。
とまあ、こんな感じで、いつのまにか楽器作る人で、楽器や音楽のことを書くのが好きな人になってましたねえ~、という歴史です。流れるままに来て、さてこのあとどこに流れていくのでしょう。