アルゼンチンのpayada(パシャダ)、チリのel Canto a lo Poeta(エルカントアロポエタ)、マデイラ島のCharamba(シャランバ)など、ギターを弾きながら即興で対話を重ねていく型のヒスパニック系音楽は、重要な社会的機能を果たしてきたのではないか…というのが今日の書きたいことで、念頭にあるのは酒場やパーティなど人が集まる場所で交わされる次のような即興対話の音楽です。↓
ポイントを箇条書きしますと、
・庶民が意見(感情)を日常的に表明する貴重な機会になった。
・対話形式なので、常に反論や異なる視点が提供された。
・公開の場で行われるので、周囲の観衆は複数の視点を聞いて自己の意見を形成することができた。
・観衆は、拍手歓声などで参加し、時には自分もギターを弾いて対話に加わることもできた。
・音楽の型に乗せることで対話が整然と順序立てて展開する仕組みがあった。
・対話内容は、政治宗教生活ユーモアなど、タブーなく多方面に及ぶことができた。
・明確に意見を言うことがポジティブに捉えられた。
・反対意見をはっきり述べることもポジティブに捉えられた。
・対話形式が浸透するため、異なる意見があること自体がポジティブに捉えられた。
・無粋な暴力的解決の前に、公開の場での粋な音楽的討論という方法が利用できた。
・相互対話の繰り返しの中で問題が自然に整理された。
・音楽の型に乗せるためには、内容を簡潔にする必要があり、ポイントを絞ったやりとりを促進した。
・音楽の型に乗せることで、相手の意見を最後まできちんと聞き、それにきちんと答えるという円滑な進行が確保された。
・日常的に人が集まる場で音楽対話がされることで、自然に人々の社会意識が醸成され、アイデンティティ形成が促進された。
・公開の場で音楽に乗せるために、ウイットやユーモアが要求され深刻さが緩和された。同時に対話が崩れすぎることもなく適度な緊張や気品が保たれた。
・くつろいだ場でのやりとりを日常的に楽しむ文化が生まれ、人間関係社会関係の潤滑剤になった。
などなど、民主的でオープンな社会をはぐくむ要素が濃縮しているように思うのです。
チリのel Canto a lo Poetaを見ると、テーマや状況に応じていくつかのパターンが用意されていて、利用しやすいプラットフォームが整えられており、その中に即興の言葉を入れることで自動的に意見表明と反論が可能な仕組みが作られているように思います。素朴なあけすけなやりとりに見えて、誰もが合理的に討論できる仕掛けがきちんとあります。
昨今の知識人によるテレビ討論番組の不毛を見るにつけ、学問もない昔の庶民が対話することを可能にしたこのような音楽型式は画期的であると思います。
16世紀から19世紀のヨーロッパの床屋にはギターが常備されていることが多く、客はよくギターを弾いていたこと、床屋は人々が社会的な意見やアイデンティティを形成する場所であったことなどを先日も書きましたが、床屋でもギターによる対話音楽が行われていたのかもしれません。
ギターをこのような庶民の社会参加ツールとして見たとき、16世紀のスペイン庶民にルネサンスギターが流行していたことは案外大きな意味があり、人間中心のルネサンス時代ならではの現象だったのかもしれないと思えてきます。