海を渡った小型ギターたち

マダガスカルのウクレレ カボシー Kabosy つづき

マダガスカルのウクレレ(マンドリン)とも呼ばれる「カボシー」の起源については、ウイキペディアに、「一般にアラビアのウードの直系の子孫であると考えられている」と書いてあるだけで、それ以上の説明はあちこち検索しても見あたりません。

ウード↓

しかし、カボシーの外形や構造はかなりウードと異なります。そこでマダガスカルの歴史を調べてみました。↓

約2000年前に、インドネシア人かインドネシア人とアフリカ人の混血の人々が、マダガスカルの最初の入植者となった。

西暦800年から900年頃にアラブ系の貿易商が移住してきた。

西暦1500年8月10日に、ポルトガル人のディエゴ・ディアスが、インドへ航海中にマダガスカル島を発見のしセントローレンス島と名づけた。1500年後期になってポルトガル人、フランス人、オランダ人、そしてイギリス人がみんなマダガスカルに貿易のため移住をしようと試みたが、現地民の抵抗によって全て失敗に終わった。

1600年代後期、ヨーロッパの海賊が島の西海岸を占領し、インドからヨーロッパに持って帰る品物を積む船を攻撃するための拠点として利用した。

1700年代に、西海岸のサカラバス族が最初のマダガスカル王国を設立し、1810年に、彼らのライバルであるメリナ族が、島の残り地域に王国をたて、その王となったはラダマ一世は、英国との関係を築き、島中にキリスト教を広め、英国宣教師たちに国を開いた。

1883年に、フランスはマダガスカルに侵入し、1896年までには島はフランスに制覇され、フランス植民地になった。

マダガスカルの人々は1918年と1947年にフランスに対して主要な蜂起を起こし、1960年の6月26日に独立の権利を得た

以上の歴史からすると、アラビア商人が800年から900年ころに移住してきてから、数百年にわたりアラビア文化の影響を受けているので、アラブの撥弦楽器ウードの子孫と考えることは自然なことと思えます、またウードは現在では5コースから6コースの楽器ですが、900年ころには4コース楽器だったと言われていたこととも符合しています。

ただ、カボシーの外形がギター的で、ヨーロッパの香りがあることはやはり気になります。そこで注目したいのは、1600年代以降に、ヨーロッパの海賊の基地となっていたという歴史です。当時のヨーロッパの海賊は大変音楽好きで、いつも音楽を楽しんでいたことが知られています。海賊船には楽師が乗っていて、様々な楽器を持ち込んでいました。そして当時の海賊の国籍は多岐にわたり、様々な国の海軍や商船の過酷な扱いから逃れてきた人々がいて、楽器と音楽のバリエーションが豊かだったと思われます。これらのことを考えると、ヨーロッパ海賊の音楽文化と楽器が、マダガスカルに残った可能性は十分にあると思われます。カボシーのヨーロッパ的な外形には、このような影響を考えてもよいように思います。

では最後にカボシーのメイキング動画。↓

 

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