あれこれいろいろ

天皇の楽器の移り変わり 

雅楽は天皇の政治と深く結びついた音楽です。天皇が演奏した楽器には次のような移り変わりがあったそうです。

【天皇の呪術的演奏の時代…古墳時代】

天皇が弾いた楽器の最初の記録は、古事記・日本書記の仲哀・応神・允恭・雄略の四人の大王(オオキミ)が弾いた琴から。この頃の演奏は、神を降ろし、神と一体化するという、呪術的な傾向の演奏でした。

【天皇が演奏しない時代…飛鳥・奈良】

飛鳥時代・奈良時代になると、大陸や朝鮮半島の音楽が入って来て、古来の日本の音楽に合流していきます。雅楽が整備されはじめ、この頃の天皇はもっぱら聞く側の人です。

【琴の時代…平安時代前期】

平安時代前期は、最初の桓武天皇の代から、自ら雅楽の楽器を演奏するようになります。宇多天皇、醍醐天皇、村上天皇など、みな様々な楽器の演奏に積極的で、中心は琴(和琴、七弦琴、筝)の時代でした。

【笛の時代前半…平安時代中期ころ】

平安時代中頃の円融天皇・一条天皇の時代から、天皇の楽器は笛(横笛)が中心の時代になります。これは成人天皇から幼少天皇の時代に入ったことから、幼少でも学びやすい楽器として笛が中心になってきたという可能性が指摘されています。三条天皇から白河天皇までの六代、楽器を習いはするものの、それほど積極的な姿勢も見られず、若干停滞期の様相です。ただし、この間雅楽に優れた廷臣楽人は輩出します。

【笛の時代後半…平安時代後期ころ】

堀河天皇、鳥羽天皇、崇徳天皇、後白河天皇、高倉天皇など、音楽に積極的な天皇が多くあらわれ、笛を中心にして様々な楽器の習得、舞楽、神楽、催馬楽、朗詠、今様など、天皇が前のめりに音楽を楽しむ様子が見られます。宮廷音楽全体の隆盛期です。

【琵琶の時代…鎌倉時代】

後鳥羽天皇は天皇時代は笛を吹いていましたが、上皇になった後から、積極的に琵琶に打ち込んでめきめきと上達し、次々と秘曲の伝授を受けます。後鳥羽上皇は、霊力を備えた特別な楽器である琵琶で特別の秘曲を演奏する者というストーリーによって皇統の神秘化・権威化を図ったようです。新古今和歌集の撰という事業も合わせて、芸能の力を最大限に利用した天皇です。後鳥羽上皇以後、琵琶の継承、秘曲の伝授、琵琶の秘法伝授など、『秘』の力の継承が皇統の正当性(霊性)の証のようになり、琵琶の時代になっていきます。この秘密の力を受け継げるのは、天皇嫡流だけということになるので、嫡流は琵琶を習い、傍流は従前通り笛を習う、という棲み分けが生まれたようです。

【笙の時代…南北朝、室町時代】

南北朝・室町時代になると、前回書いたような顛末で、元来武家の楽器であった笙に取り込まれて、武家の力との連携の象徴として笙の時代に入っていきます。

【笙と筝の時代…室町~江戸時代】

やがて武士の楽器である笙だけではやはり天皇の気持ちとして満足できなかったのか、足利義満の死後、笙に合わせて筝を学んでいく流れが生まれ、笙と筝の時代になり、以後江戸時代までその流れが続きます。

【天皇の雅楽演奏の断絶…明治時代~現代】

そして明治時代以降、この千年以上も続いてきた天皇による雅楽の器楽演奏の流れは終わります。奈良時代のように、天皇は雅楽を聞く人の位置に逆戻りしたわけです。その主因は、西洋音階と西洋楽器が入って来て、明治政府が西洋に対抗すべく国の音楽全般の西洋音楽化を進めたことにあると言ってよいでしょう。現代の天皇は、たとえば平成天皇はチェロ、美智子さまはピアノやハープ、令和天皇はビオラ、秋篠宮さまはギターと、西洋楽器をたしなむのが慣例となっているようです。

雅楽は現在も専門家によって継承されていますが、天皇が自ら演奏しなくなったことによって、ひとつの核を失うことになったのではないでしょうか。

参考・天皇の音楽史 豊永聡美著 吉川弘文館

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