前回は雅楽の楽器における天皇への秘曲伝授に絞って紹介しましたが、秘曲の伝授は武士の世界における笙にもありますし、また日本舞踊や神楽や催馬楽、さらには「秘伝」「秘事」「口伝」などの言葉に広げれば、茶道、華道、能、剣術、馬術など、日本の伝統芸能全体に広く同様の概念が見られます。
秘密性、口頭伝授性、文書化の拒否あるいは奥義書の非公開、師への質問を許さない、伝える相手の厳選、芸道の究極・奥義・全体性をマスターしたという認証、芸道の血脈的継承、など様々な特徴があり、例えば室町時代の能役者世阿弥は、「此別紙の口伝、当芸に於いて、家の大事、一代一人の相伝なり。たとい一子たりというとも、無器量の者には伝うべからず」と書いています。
現代では用語が一般化して、「秘伝、焼き肉のタレ!」などと随分お気楽になっていますが。
この秘曲、秘伝、秘事、口伝という発想は、その元をたどると真言密教に行き着くそうです。密教が日本に入って来る以前のシャーマニズムの世界にも、秘儀のような発想はありましたが、その伝承が体系化されるのは、空海によってもたらされた真言密教からということだそうです。
真言密教は四度加行という密教を伝授するための非常に詳細な様式が整備されており、その中で師から弟子に多種多様な印(手指の組み方)・真言(呪文)・観想(曼荼羅、梵字、月輪など)と所作の手順などが伝えられます。
天皇への琵琶の秘曲伝授は「大日如来最秘密の深法」とされ、最秘曲「啄木」の伝授は真言密教の伝法灌頂に擬させらるということは前に書きましたが、そういう究極の神秘性・霊性に繋がることへの憧れが、今も日本の伝統音楽全般の底深くに無意識的に広がっているように思われます。
参考
天皇の音楽史 豊永聡美著
芸道の継承教育におけるノン・バーバルコミュニケーションに関する実証的研究