西洋音楽の根底にキリスト教的な「神を賛美する」ための音楽があるとすると、古来日本の音楽の中心には何があったのだろうと考えていまして、それは「言祝ぎ」の音楽ではなかろうか、と思うのです。
ことほぐは、ことぶき「寿」にも繋がり、「予祝(よしゅく)芸能」という言葉もありますが、言霊で予め祝福し、農作業のあらましを一通り演じて豊作を現わして祝ったり、神を装い門口に立って祝い言(ほかいごと)を述べたり、日本の音楽、芸能の中心に、「祝い」の概念がどっしり構えているように思います。
家々の門前に立って祝い言(ほかいごと)を披露し金銭を乞う門付け芸、正月の予祝を謡う萬歳、養蚕の予祝の春駒、農耕の予祝の鳥追いなど、地域ごと時代ごとに、挙げればきりがないほど、様々なものがあります。貧しい人々がその日の暮らしのために家々を祝ってまわることもあれば、神社仏閣の行事として祝ったり、能の演目にひたすら祝福するもの(翁、高砂、鶴亀など)があったり、編み笠三味線の女丈夫、傀儡師、猿回し、義太夫、などなど、様々な階層の人々が、様々なやり方で、あらゆる分野を祝いの対象に演芸を繰り広げます。
この祝いを核心に据える芸能文化は、何かとてつもない力を日本に及ぼし続けてきたのではないかという気がするのですが、現代の芸能は、欠点やコンプレックスをいじったり、失敗やゴシップあげつらったり、痛みや困惑をあざ笑ったりということが表に出て、祝いの反対方向の力学が随分多いように思います。これは日本の芸能の歴史からすると、かなり異例な方向を向いているのかもしれません。
祝いの笑いと喜びを表現する言祝ぎの音楽(芸能)を、現代人の感性に合うように再開発する人が出てきたら天才だと思うのですが、若い世代の方からそういう天才の匂いがぷんぷんしてくるようで、きっとそんな芸能がざくざくいっぱい出てくるだろうと踏んでおります。