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後醍醐天皇の音楽のおもしろさ

前に、後白河上皇や後鳥羽上皇の音楽面のおもしろさについて書きましたが、今日のテーマは後醍醐天皇。後醍醐天皇は、秘曲伝授マニアで楽器の名器コレクターのようなところがあり、なかなか興味深いのです。

後醍醐天皇は様々な音楽を学び、以下のように次々と秘曲の伝授を受けて、自ら儀式で演奏しています。

遅くとも1315年までに、笛最秘曲「陵王荒序」伝授 (笛は元々学んでいたものだったので、かなりの腕前だったことを示す記録がある)

・1319年 琵琶秘曲「慈尊万秋楽」「楊真操」伝授 (師の西園寺実兼のもとに急に押しかけて譜の準備もないまま伝授を強要したという)

・1321年 琵琶秘曲「石上流泉」「上原石上流泉」伝授 (師の実兼が腰痛で座れないので伝授の延期を申し入れたのに聞き入れず強引に伝授させたという)

1322年 琵琶最秘曲「啄木」伝授

・1328年 琵琶最秘曲啄木の本譜外口伝 伝授

・1328年 催馬楽御灌頂 伝授 (催馬楽とは、各地の民謡や俗歌が宮廷歌謡化したもの)

・1330年 神楽「宮人」伝授

また、後醍醐天皇は、演奏する楽器にも強いこだわりをもっていて、次のような名器のエピソードが出てきます。

・玄上・牧馬に並ぶ名器と言われた琵琶「良道」による石上流泉と上原石上流泉の演奏、師の西園寺実兼に命じて西園寺宝蔵のすべの琵琶を出させ、その中から選んだという

・王権の威光を象徴する琵琶「玄上」による最秘曲啄木の演奏

・当時最も有名な笛「柯亭」による最秘曲陵王荒序の演奏

・平等院経蔵の名物琵琶「元興寺」の音色が抜群であるとのことから、御所にあった「木絵」という琵琶との交換を強要したという

・正倉院の琵琶が後醍醐天皇によって持ち出されたまま返納されないことを嘆く東大寺僧侶の文章がある

・1331年に京を脱出するときに、笙「キサキエ」や笛「柯亭」を持ち出して、花園院をやきもきさせたという

・ほかにも様々な笛、笙、太鼓などの名器を吉野に潜伏しているときに所持していたと言われている

とまあこんな感じで、後醍醐天皇の伝授や楽器集めの強引なことと言ったら…そして度々伝授を強要され楽器の行方にやきもきさせられる西園寺実兼のかわいそうなことと言ったら…

後醍醐天皇が秘曲伝授にやっきになり始めるのは天皇になって親政を始めた時期と重なっており、単なる趣味的な伝授マニア、楽器コレクターだったわけではなく、天皇としての実権を持つために音楽的正当性を備えることが不可欠だったという事情がありそうです。そのためのこの強引な秘曲伝授と楽器集めだったのでしょう。

後醍醐天皇にはプラス評価とマイナス評価の両極端があって、次のウイキペディアを読むだけでも大変興味深い人物であることがわかります。

ウイキペディア 後醍醐天皇

それにして、後白河上皇、後鳥羽上皇、後醍醐天皇など、音楽面に強い個性を残す天皇は、時代が変わる激動期の天皇ばかりで、当時は音楽と政治が強く連動していたことがうかがえます。そしてその背景には、音楽、秘曲、名器というものが、霊力という名の現実的パワーを持つという観念があっように思われます。

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