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服属儀礼としての音楽 国風歌舞 風俗歌舞

平安時代はじめに天皇が自ら雅楽の演奏に参加するようになる前、天皇はもっぱら音楽を聴く立場の人でした。日本各地には、「国風歌舞(くにぶりのうたまい)」とか「風俗歌舞(ふぞくのうたまい)」と呼ばれる土着の音楽があったのですが、地方の豪族が統一されていく過程で、地方の歌舞を朝廷において奏上させる服属儀礼が行われようになりました。天皇の前で地方の歌舞を奏上させることで服属を認識させるわけです。服属儀礼が定式化すると、天皇は各地の国風歌舞を行幸の先々でも聴くようになります。

たとえば、続日本紀によれば、717年9月12日に元正天皇が近江国に行幸した際には、山陰・山陽・南海諸国の国司らが天皇の滞在場所に参上してそれぞれの国の歌舞を奏上していますし、6日後の18日に美濃国に元正天皇が到着すると、今度は東海・東山・北陸諸国の国司らが天皇の元に参上して「風俗之雑伎」を奏上しています。

聞く立場としての天皇は、こうして朝廷の儀式でも各地の音楽を聴き、行く先々でも各地の音楽を聴きと、音楽を聴くことも(舞などを見ることも)大事な統治の仕事の一つであったわけです。

この国風歌舞や風俗歌舞のいくつかは、宮廷の歌舞の中に取り入れられ雅楽の中に残っています。例えば次の雅楽の動画は国風歌舞の久米舞です。雅楽に取り入れられる前の初期の土着音楽としての国風歌舞は、もっとずっとあか抜けしてない素朴でプリミティブな味わいだったのかもしれませんが。

なお、この服属儀礼として、日本から中国の王朝に対して奏上されたという史実もあります。

前漢時代の礼記には、倭国の舞である「東夷之楽」が、中国天子に対する礼の象徴として天子の前で奏上されたことが記載されていますし、また第一回遣隋使派遣の際には、日本の音楽である「倭国伎」が貢納され、髄の文帝から「鼓吹楽」が下賜されています。

 

 

 

 

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