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後鳥羽上皇の音楽のおもしろさ 1 神秘の琵琶

音楽面でおもしろい天皇№1は、「今様狂い」と言われた後白河天皇(上皇・法皇)だと私は個人的に思っているのですが、私のおもしろさ№2は後鳥羽上皇です。ここでおもしろいというのは、私が「オモシロッ!」と思ったかどうかだけの話ですので、音楽的にすごいとかえらいとかいうこととはまた別の話です。

後鳥羽上皇は、おもしろさ№1の後白河天皇の孫で、平家と共に壇之浦に沈んだ安徳天皇の異母弟で、安徳天皇に次いで鎌倉時代最初の天皇になった人です。前回書いたように、後鳥羽上皇は、天皇が笛を吹く時代から琵琶を弾く時代への転換のキーマンになった人ですが、私がおもしろいと思うのは、琵琶と琵琶の音楽にスピリチュアティ・霊性を濃厚に持ち込んだところなのです。

後鳥羽上皇は、自身が天皇のときには従来の慣例通り各種儀式で笛を吹いていたのですが、天皇から上皇になると琵琶の練習に打ち込みはじめてめきめきと上達し、わずか五か月の間に琵琶の秘曲全四曲、「楊真操」「石上流泉」「上原石上流泉」「啄木」の伝授を受けるとともに、皇室に伝わる琵琶のうち、名器「玄上(玄象)」が天皇家の特別の宝器であると位置付けて、天皇(上皇)自身が伝授された秘曲を玄上で弾くことをもって、天皇家の霊性の証明にしようとしたようなのです。

その霊性の中身には、たとえばこんなストーリーが見られます。

秘曲の伝授は「大日如来最秘密の深法」であり、中でも最秘曲である「啄木」の伝授は真言密教の伝法灌頂に匹敵する(伝法灌頂とは密教の奥義がすべて伝授され指導者の地位を得たとされる儀式)

秘曲「上原石上流泉」は、源高明が月夜に琵琶を弾いていたところ、廉承武の霊が飛来して授けた曲である

玄上を弾くことは管弦の道の至極であり、累代の霊物である楽器は他にもあるが、玄上のように人を選ぶほどのものはなく、浅才の者が玄上を弾くことは最も恐れるべきことである。当世に玄上を弾いた者はただ三人しかいない。

天皇や上皇であってもたやすく玄上を弾くことはできず、必ず秘曲の伝授を受けていなければならない。

玄上は、「名器の中、その徳尤も勝つ、天地を感ぜしむ」(琵琶合記)、「希代の宝物なり」(教訓抄)とされ、玄上を弾く前には、「兼日、しやうしんして、うちうちこれをいのる」(胡琴教録)と厳重に潔斎すべきものとされる。

後に順徳天皇は秘曲伝授後に御会において玄上を弾いたが、玄上を弾くことについて「身において過分のことなり、恐るべし、恐るべし」と日記に記載しており、後鳥羽上皇以後の天皇にとって玄上を弾くことは畏敬すべき霊的体験と受け取られたらしい。

このように、後鳥羽上皇は、琵琶の秘曲伝授と宝器玄上の演奏をもって、天皇家の霊性の証明に利用しようとした形跡が濃厚なのですが、その背景には、壇之浦の合戦における宝剣紛失事件が関係しているように思われます。

次回につづく

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