上の写真は、各地の遺跡から出土する埴輪とユダヤ人の風俗が似ているとして度々引用される写真ですが、確かに似ていて興味深いですね。下の写真のように和琴を演奏する埴輪も、帽子や髪型が大体似通っています。音楽祭祀民族としてユダヤ系渡来人が流入していたという仮説を立ててみるのもありでしょう。
そこでユダヤ人の伝統楽器の中に和琴と似たものがないか探してみたのですが、見た範囲では類似のものは見つかりませんでした。しかし探索の範囲を広げて世界の民族楽器全体から探してみると、カヌン、カヌーン、カーヌーン(kanon,qanun)等と称するアラブ、ギリシャ、アルメニアに分布する楽器が見つかりました。演奏姿勢が埴輪のものとかなり似ています。
埴輪が弾いている和琴は弦数が4~6弦なのに対し、カヌンは弦が非常に多いのが特徴で、そこが最大の相違点です。ただ楽器の仕組み、演奏方法、演奏姿勢には類似性が見られます。
カヌンの起源は紀元前1世紀の旧アッシリア帝国の弦楽器にさかのぼるそうです。古代アッシリアの首都ニムルド(古代名:カレ)で見つかった象牙の箱に刻まれています。またカヌンの名前は古代ギリシャ語κανώνkanōnに由来し、「ルール、法律、規範、原則」を意味するそうです。(ウイキペディア)
このアッシリアのカヌンを古代ユダヤ人が弾いた可能性はありそうです。イスラエル北王国が紀元前722年にアッシリアに滅ぼされたとき、ユダヤの12部族のうち10部族がアッシリアに連行され(アッシリア捕囚)、このアッシリア捕囚がいつ終わったのか文章に残されておらず行方がわからなくなっているのですが、アッシリアから追放されるなどして難民化したユダヤ人がカヌンを携えて東方に移動し日本まで到達する可能性は十分考えられそうです。イギリス・スペインなど大陸西端部に様々な民族の難民が行き止まっては定着するパターンが何度も見られるように、大陸東端に位置する日本にも同様のパターンが起きていると推測するのは合理的なように思われます。
また、カヌンの名前がギリシャ語の「ルール、法律、規範、原則」に由来するというのも興味深いことです。前回書いたように、御琴=御言=詔=命令という言葉の連なりに繋がる感があります。
平安時代に書かれた琴の神通力をテーマにした宇津保物語は、遣唐使船がペルシアに漂着して天人から秘琴の技を伝授されるところから話が始まりますが、琴はペルシア方面(アッシリアも含む)から来たことが当時の人の共通認識だったとすれば、いきなりペルシアから話が始まる唐突さも理解できると思います。
これらのことを考えると、和琴をユダヤ系渡来人が弾いた説もさほど荒唐無稽ではないように思います。人類史は常に難民を生み出し続けているので、極東の日本にもいろんな民族が流れ来て行き止まって定着したのではないでしょうか。中国、朝鮮はもとより、遠く中央アジアやヨーロッパの文化も古代に流入して融合している可能性は高いように思います。ギリシア神話と日本の神話の著しい類似性はその傍証となるでしょう。☞冥界に行ってきたオルペウスとイザナギの話
では和琴は日本の楽器ではないことになるのか? いえいえ、八百万の神が同じ国土にともに住むのが日本神話の世界観ですから、渡来人が和琴を弾いていても、それこそ日本の文化の内でしょう。和琴の和という文字もそういう諸文化融合の思想を現わしているのではないでしょうか。