この最初のシの一音。
こういう弱起(アウフタクト)の曲が、昭和おじさん的日本人にはピンと来なくて、この最初の小節を「不完全小節」と言うなどと聞くと、「うんうんなんか不完全だと思ったよ」なんて思ったりします。
これは古いフランスの舞曲の楽譜なのですが、自分が踊り出す場面を想像してみると、最初のシの音を聞いた瞬間に筋肉を収縮させて、次のソの音でポンと蹴り出せば、きっと心地よく伸びやかに踊り出せるのでしょう。
西洋文化はこういう伸びあがる動作に基本意識があるような気がします。それに対して、日本人はノッシと大地に足を置く動作に基本意識があるように思えます。田植えのときに足をしっかり置いて少しずつ移動する動作が多かった民族と、獲物に向かって勢いをつけて走り出す動作が多かった民族の違いでしょうか。腕立て伏せでは、日本人は腕を曲げながら1と数え、欧米人は腕を伸ばしながら1と数えるそうですし、救急車では日本人は強拍から聞き取ってピーポーと聞き、欧米人は弱拍から聞き取ってポーピーと聞くそうです。このような感覚の違いは、裏拍に対する馴染やすさにもつながるのでしょう。
イソップのウサギとカメの競争を思い出します。ピョンと飛ぶ方の文化と、ノッシと踏みしめる方の文化が競争していると思えば、人類文化史的大イベントのようです。
競争の結果はというと、おろかなウサギは昼寝してカメが勝ってめでたしめでたし…と考えるのはカメ側の解釈です。ウサギ側の解釈はまた一味ちがい、一旦ウサギは負けてもその後知恵を使って狼を撃退して名誉を挽回するという後日談があったり、カメは一族をあらかじめ要所に配置していて、スタート地点のカメとゴール地点のカメは別のカメで、本当はウサギは負けていないという別話(リーマスじいやの話)もあって、ウサギの顔が立つような解釈があるようです。
あと文化的な拍節感の違いでは、田植えの動きは二拍子なので日本の曲は偶数拍になるが、馬に乗って走ると三拍子に身体が動くので騎馬の文化では三拍子が生まれるなどという話もあるとのことで、くらしと拍節感は密接に結びついてくるようです。