西洋のララバイは、親の愛に包まれている子供の姿が主要な題材になっていることが多く、聞いていると暖かい気持ちになってきます。色々ありますが、一例としてウエールズの子守歌の歌詞はこんなです。
ウエールズの子守歌
眠れ我が子 胸に抱かれ
暖かく居心地が良い それは真実
母の腕の中 母の愛
誰にも貴方を傷付けたりさせないお休みなさい 誰からも妨げられることなく
私の可愛い赤ちゃん 安らかに眠れ
母の優しい胸に抱かれて
次のサイトで世界の子守歌の歌詞と動画を見ることができます。見ているとだんだん優しい暖かい気持ちになってきます。☞ 世界の子守歌
これに対して日本の子守歌は、次第に悲しくなってくるものが多いようです。子守り奉公のつらさに途方にくれている孤独な子供たちの姿が見えてきて、それはつまり西洋のララバイの内容とは反対に、親の愛から遠ざけられている子供たちの姿です。
五木の子守歌
おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃおらんと 盆が早よくりゃ早よもどる おどま勧進勧進(かんじん かんじん) あん人たちゃよか衆 よか衆ゃよか帯よか着物
歌詞の意味
私は盆まで 盆から先はいないよ 盆が早く来るなら すぐにでも帰るのに 私は貧しい あの人達は裕福 良い帯に立派な着物
竹田の子守歌
守りもいやがる 盆から先にゃ 雪もちらつくし 子も泣くし
盆がきたとて なにうれしかろ 帷子(かたびら)はなし 帯はなし
この子よう泣く 守りをばいじる 守りも一日 やせるやら
はよもいきたや この在所(ざいしょ)越えて むこうに見えるは 親のうち
高知の子守歌
ねんねするゆうて ねる子はかわい おきて泣く子は つらにくい
つらのにくいやつ まな板にのせて 大根きざむよに きざんでおいて
うらの流れに 流したい
大津市
この子よう泣く 泣かん子もあろに
もちと泣かん子と 替えてほし 替えてほし
子ォがかわいけりゃ 良い傘おくれ
破れ傘では 子がぬれる 子がぬれる この子これだけ よう泣くせがむ
お乳足らぬか 乳ばなれか 乳ばなれか
お乳たくさん ありますけれど
この子これだけ 性が悪い 性が悪い
性が悪いのは まな板の上で
きざみきざむように きざきざと きざきざと
きざみきざんで お醤油をかけて
親に見せたら 血の涙 地の涙
今の守り子は コイコイ習て
男呼ぶのも 来いと来いと コーイコーイ
江戸の子守歌
ねんねんころりよおころりよ ぼうやはよい子だねんねしな 坊やの子守りはどこへ行った あの山越えて里へ行った 里のおみやげ何もろた でんでん太鼓に笙の笛 おきゃがりこぼしに振り太鼓
最後の江戸の子守歌は、子守が里帰りしてる間に、女中が代わって子守りをしているという状況のようで、少し大人のゆとりが見えます。そしてその歌詞の裏には、子守が里帰りして、ようやく自身が親の愛に包まれに帰って行く様子などもみえてきます。
ほかにも、昔読んだ本に、「早く寝ないかこの餓鬼め」という歌詞があったのを記憶しているのですが、探せばきっといろいろ出てくるでしょう。日本の子守歌は、ある意味子供の怨歌(演歌)のようなところがあります。子供の悲しさ、怒り、やるせなさ、孤独感などが入っています。大人の怨み歌は世界にいろいろあっても、子供の怨み歌はあまり多くないでしょう。もちろん世界にはこわい子守歌もありますが、それは大抵、早く寝ないとおばけに(狼等に)食べられちゃうぞとか、魔法使いに連れていかれちゃうぞという系統で、怨歌のようなものはあまり目につきまません。
この子守奉公の子供たちを主体とする日本の子守歌を、優しい暖かいララバイの一種のように思いこんでうっとり聞いてしまうことに、孤独な悲しい子供たちの存在に気付かないで放置してしまうようなうしろめたさを感じます。日本中にこういう悲しい子守歌をたくさん生みむことになった日本の社会や日本人の深層に深く分け入ってみる必要があるように思います。そして親の愛をまっすぐに歌った子守歌が日本には少ないのはなぜかということも気になります。