あれこれいろいろ

フラメンコとカフェ・カンタンテ

フラメンコの伴奏と言えばギターですが、1830年~40年までのフラメンコは、まだ手拍子だけの伴奏で歌われ踊られることが普通だったそうです。

1842年にフラメンコを聞かせるための飲食店、カフェ・カンタンテ(cafe cantante)がセビーリャに開店し、フラメンコの歴史の転機となります。これ以降、カフェ・カンタンテはアンダルシア全域に広がり、さらにマドリード、バルセロナその他の主要都市にも広がります。

カフェ・カンタンテには次々と新たなアーティストが現れては、カフェを渡り歩き、自然に技術的な交流も生まれ、演目も広がります。ジプシーの内輪で歌い踊っていた演目から、アンダルシア全体の素朴な民謡や、さらには北スペインや、中南米起源の曲も取り込んでいきます。

伴奏楽器としてのギターもカフェ・カンタンテで育ち、次々に名ギタリストが登場します。

こうして現代フラメンコに繋がるフラメンコの姿はカフェ・カンタンテで形成されました。上の写真は、1890年(カフェ・カンタンテの最盛期)のセビーリャのカフェ・カンタンテでの写真です。

フラメンコ愛好家アントニオ・アレバロの次の文章を読むと、当時のカフェ・カンタンテの光と音と匂いが浮かび上がってくるような気がするのです。

「カフェ・カンタンテ! それは過ぎ去った日の思い出だ。それは奥の方に舞台を設けた広い店だった。アーティストたちは、ごくせまい木の階段で、舞台に登り下りした。いくつかのメディア・ルス(薄あかり)」と呼ばれるガス灯が店内を照らしていた。それらは、薄明りというよりもさらに暗く、不作法に鼻についてくる匂いを放っていた。客のなかに女性はおらず、男ばかりだった。職人や百姓、それに、もっと社会的地位のある、たとえばオリーブ畑や田畑の持ち主といった人もまじっていた。みんな、服装は同じようであった…(略)…みんなは、当時流行したようにアグァルディエンテ(蒸留酒)を添えたコーヒーを飲み、舞台へ歌いに出るため、せまい階段をのぼるドローレス・バラーラにしばし注目した…」

参考・フラメンコの歴史 浜田滋郎著

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