彼のフラメンコにはドゥエンデがある…とか
あなたにはよい声があり、スタイルがあるが、成功することはないだろう、なぜならドゥエンデがないから…
などと使われるドゥエンデは、もともと妖精、精霊などを示す言葉から来ていますが、アンダルシア全土で人々は石や貝殻にも直観的にドゥエンデを発見し語るのだとか。フラメンコはもとよりスペイン芸術で大切な役割を果たしている概念なのだそうです。
グラナダ出身の詩人・劇作家のフェデリコ・ガルシア・ロルカが、1933年にアルゼンチンで、「ドゥエンデの理論と役割(Teoría y juego del duende)」という題名の講演を行っており、次のサイトがそれをわかりやすく紹介しているので、読んでみてください。 → ドゥエンデの理論と役割
ここに登場する印象的な言葉を書き留めると、黒い音、絡みつく根、血、傷、死、説明できない神秘的な力、血の最後の部屋、痛み…などなど、暗い感じの言葉が並びます。
さてここからは私の妄想的な話。日本の能とフラメンコに同じ時空を感じると前前々回に書きましたが、これらのちょっとおどろおどろしい言葉たちから、私はイザナミが赴いた黄泉(よみ)を連想するのです。
黄泉は死の国で、イザナミの血と腐肉の穢れの国で、夜の冥界で、イザナギによって閉ざされ隠された国で、イザナギを追いかける妖怪どもの国。ドゥエンデを現わすおどろおどろしい言葉たちがぴったりする感じがするのです。しかし黄泉は単なる悪ではなく、世界の最初の女神イザナミが住まう神の国の一部。罪と穢を押し流してしまう根の国で、イザナミから逃げ帰ったイザナギが川で黄泉の穢れを洗い落とすと、そこから次々と神々が生まれるという、かなり重要な役割のあるところです。
ユダヤ、メソポタミア、シュメールなどには、人類の始祖アダムの最初の妻として悪女リリスというものが登場し、夜の女、子供を食べて殺す女と言われますが、イザナミが日に千人殺すと言うと、イザナギが日に1500人産ませようと答えたという話とも通じるところがあり、どうも循環的な生命原理を表現しているような気がします。インドからこれらの地域を通り抜けてきたジプシーにも同じ思想があっても不思議ではありません。実際、ジプシーには「穢れ」の概念が非常に濃厚で生活全般を支配しているのだそうで、フラメンコにこの冥界の原理が投影されている可能性はあるように思います。
ドゥエンデとはつまり、そういう生命原理としての冥界からくる信号のようなものを言っているのかな、と思うのです。