越後(現新潟県)の農村の一風景。
二、三人の瞽女さんが、目が見える瞽女さんを先頭にして村に到着すると、すぐに家々の門前で短い唄を披露して門付けをして歩きます。それは瞽女が来たことを知らせて夜の興行の予告にもなります。子どもたちは走って瞽女さんが来たという嬉しい知らせを触れ回ります。
門付けに村人は茶碗一杯の米を差し出します。産地によって米ではなく綿や麻や豆が差し出されることもあり、都会になると金銭だったりすることもあります。多数の人から集めた米には霊力が宿るとされたので、「瞽女の百人米」は高く売れたそうです。
門付けが終わると宿(瞽女宿)で夕食をとり、その間に村人が演奏を聞きにぽつりぽつりと集まってきます。そして晴れ着に着かえた瞽女さんの演奏が始まります。若い瞽女さんが前座の唄を歌った後、年長の瞽女さんが長編の「祭文松坂」「くどき」の一段を披露して、聴衆の涙を誘います。その後、瞽女さんは数あるレパートリーから、様々な雑唄を歌い、人々を笑わせます。村人は酒を飲みながら楽しみ、報酬としておひねりをお盆に入れます。こうして夜更けまでにぎやかに興行がとりおこなわれ、満足した村人は帰途につきます。
翌朝、瞽女さんは、瞽女宿でお礼の祝い唄を歌って、弁当をもらい、また旅に出ます。次の村に着くと、また同じ日課の始まりです。
以上は、「瞽女うた」ジェラルド・グローマー著からの要約です。
娯楽らしい娯楽が何もない時代、瞽女さんを迎えた村人は、三味線の音にどれほど浮き立ったことでしょう。季節のお祭りが定期の喜びなら、ある日やってくる瞽女さんはサプライズの喜びのよう。色彩に乏しい農村に華やかな彩りを添えて、人々の暮らしを現代人の想像以上に豊かにしたのではないでしょうか。
次の動画、瞽女さんの祭文松阪の音源です。