あれこれいろいろ

江戸小唄 粋(いき)とは

江戸小唄は「乙」で「粋」で「通」のもの。「乙」については前にちょっと書きましたので今回は「粋」について。

この場合の粋は「イキ」と発音しますが、語源は「意気」「意気地」に通じ、江戸っ子の意気を示した言葉です。江戸の富と活気が士農から工商へと移りゆく中で、江戸は町民文化が栄える都市として繁栄しますが、それは武士に支配されながらも支配され切らない意識として、「二本差しがこわくてめざしが食えるか」「一寸の虫にも五分の魂」などの、やせ我慢、つっぱり、男伊達、権威主義や尊大やこけおどしは大嫌いという、江戸の気質を育くみました。

これに対して武士階級は、富が町民に偏在して武士が貧しくなってゆくことに危機感を感じますから、町民が栄える様子を堕落とみなして各種引き締め政策を繰り返しました。贅沢の禁止、質素倹約の奨励、服装、生活、出版、歌舞演劇の規制など、〇〇の改革と称し町民を抑え込もうします。

一例として当時の庶民の服装規制を見ると、派手な柄や色が禁じられ、用いて良い素材は木綿か麻のみ、使える色は茶色・ねずみ色・納戸色(物置の暗がりの色でつまり藍色)の3種のみ。すると江戸っ子たちは、ぎりぎりのラインを攻める意地を見せ、裏地に工夫を凝らしたり、見えないところにワンポイントを隠したり、許された3色から「四十八茶百鼠」と呼ばれるほどのバリエーションを生み出して名前を付けて、赤っぽい茶色の江戸茶色、黄色がかった利休茶、深い緑の千歳茶など、微妙で繊細な違いを楽しむ文化を生んでいきます。こじんまりとしているけれど、垢ぬけて、洒落た美意識が生まれてきて、その違いがわかる人を「通人」であるとする共同美意識も生まれてきます。冒頭の着物の写真を見ると、確かに全部茶色、ねずみ色、藍色の地味な色の範囲内ですが、非常に都会的であか抜けて軽やかなセンスにあふれていて、なるほど粋だなという感じです。安土桃山時代のキラキラとした絢爛豪華な美とは異なる、制限された枠(わく)の中から生まれてくる美意識です。

そしてこの江戸の粋(イキ)の美意識は、自然な素地、単純な縞や格子柄やその濃淡への注目、着こなし・裾さばき、襟元・手元・足元・視線などの所作の美しさへの配慮にも繋がり、なまめかしさ、つやっぽさなどの独特の色気の美意識も生んで行ったようです。

と、大体こんなのが「粋」で、それがわかるという共同美意識が「通」、それがわからない連中は「野暮」、というそんな世界観が響き出した音楽のひとつが江戸小唄であるようです。

ちなみに余談ですが、「粋」を上方(かみがた)ではスイと読み、江戸の粋(イキ)とは異なる美意識なのだそうです。上方のスイは呼吸の吸う方の意識に繋がって、取り入れていくプラスの美意識になるので絢爛になり、江戸のイキは呼吸の吐く方の意識に繋がって、吐き出して取り去っていくマイナスの美意識なので簡素になるという方向性になり、イキがわからない人は野暮、スイがわからない人は無粋、という対応関係になるのだとか。

イキの音楽が江戸小唄なら、スイの音楽は何があるのでしょう。野暮の音楽とか無粋な音楽なんてのもあるのでしょうか。イキの音楽に興味があるのと同じくらいの強さで、野暮や無粋の音楽にも興味を惹かれます。イキの美意識が生まれた歴史があるように、野暮には野暮の、無粋には無粋の事情が必ずあって、そこには別の魅力ある美意識が生まれているはずだからです。

参考

小唄江戸散歩 平山健著

小唄の周辺 星野榮志著

論文 いきの構造 九鬼周造

ほか

 

RELATED POST