イベリア半島の中世音楽の楽譜で有名なものには、昨日書いた「モンセラートの朱い本」のほか、「聖母マリアのカンティガ集」というものがあります。この二つはヨーロッパ中世音楽の定番メニューです。このカンティガ集はカスティーリャ王アルフォンソ10世(アルフォンソ賢王、1221年~1284年)の編纂によるもので、中世ガリシア・ポルトガル語で書かれており、計420曲もの曲をおさめ、そのすべてが聖母マリアの御業を褒めたたえるためにあります。歌詞、ネウマ譜、歌の場面の絵などが描かれています。
星野博美著「旅ごころはリュートに乗って」によれば、その内容は次のように分類することが可能だそうです。
①ただただ賞賛系…とにかく聖母を讃える
②聖人・偉人系…のちに聖人となる人物や偉人を通して、あるいはその人物に対して起こされる聖母の奇跡
③領土防衛系…キリスト教徒、あるいはその領域が絶体絶命の状況に置かれたときの御業
④勧善懲悪系…信心深い者に対して不当な事象が起きた時の御業
⑤戒め系…不道徳な行いや不信心を戒める
⓺治癒・蘇り系…信心深い人間が困難に陥った時に、治癒やよみがえりなどの奇跡が起きる。あるいは信心深くないものに奇跡が起こされ、回心する
⑦巡礼系…巡礼の勧め
⑧冒瀆系…聖母マリアやイエスに対する冒瀆的事象において、懲罰で終わったりするもの
これらのひとつあるいは複数が組み合わさって、歴史的な出来事を織り込みつつ、歌が作られています。
例をあげれば、貪欲に食べた男が喉にウサギの骨を詰まらせてしまい、マリアの奇跡で骨が取れて助かったとか(戒め系&治癒系)、コンスタンティノープルがイスラム教徒に包囲されたとき、聖母マリアが城壁が壊れないようにマントを広げて守ってくれて(季節はずれの雪が降ったという史実のことらしい)、これを知ったイスラム教徒が卑怯なマホメットを捨てたいと願い、結局キリスト教に改宗したとか(領土防衛系&敵の回心)、こんなマリアの奇跡話を集めているわけです。何でも聖母に結び付けて少々我田引水的な感じもありますが、信ずる者には非常に魅力的なエピソードだったことでしょう。巡礼系の歌では、奇跡が起こった聖地が明示されているので、どこに巡礼に行けばどんな奇跡が起こるかわかるという、巡礼ガイド的なところもあり、深読みするとかなり興味深い内容がたくさんあるそうです。
下の動画はカンティガ集から19曲も演奏しているものです。YouTube様様です。↓
https://youtu.be/SrqeP895EGk
星野博美氏によれば、カンティガ集には420曲もおさめられているのに、現在一般的に演奏されるのはわずか20~30曲程度で、その理由は、反ユダヤ人的な内容のものとか、イスラム教徒(モーロ人)を奇跡で撃退する内容とか、現代の感覚から差しさわりがあるものが多いというのも一因のようです。
それにしても人類はこんなにも奇跡を求めるものなのか、という感慨を新たにしました。マリア様というのは、黙して語らぬ神ではなく、奇跡で具体的に助けてくださる実にありがたい存在であるようです。