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シトカスプルース シトカの風景3 縄文人とシトカ

シトカスプルースの産地である、北米アラスカ南部からカナダのブリティッシュコロンビア州までの西海岸は、1万年以上昔から先住民トリンギット族とハイダ族が住み、トーテムポールに代表される独自の文化を築いてきた地域でした。

今日の話はこのトリンギット族とハイダ族が、もしかして日本付近から海流に乗って渡った人たちの末裔かもしれない、という話についてです。(以下、情報部分・抜粋部分は星野道夫著作集4より)

アメリカ大陸の先住民は、2万8000年から1万3000年前のシベリアとアラスカが陸続きだった時代に、アジアから陸を歩いて渡って来たモンゴロイドの子孫だと考えられていますが、トリンギット族とハイダ族は、それ以前に海から北米大陸に来た人々の末裔ではないかと言う話があるそうです。

トリンギット族の古老が語る言い伝えには、「昔々、海の方から人々が流されてきて、アラスカのプリンスオブウエールズ島の南西に浮かぶドール島にたどり着いた。その人々は、ウィシュシャンアデ(何かとても古い生き物という意味らしい)と呼ばれ、タクウェイデ・クラン(オオカミ族の家系)の遠い祖先だといわれている」という言い伝えがあって、このタクウェイデ・クランがトリンギット族とハイダ族の祖先だという話になるのだとか。

また百年以上前のリヴァーンド・ジョーンズという人は、「私は、太平洋諸島やアラスカの人々のオリジンが、アジアからカムチャッカの海岸線を旅してたどりついたのだと考えている。それも主として日本から」という説を述べているそうです。

そこで海流がどうなっているのか調べてみたところ、ざっとこんな感じ。

これらの海流図をしばらく見比べていますと、なるほどアラスカの南側方面にたどり着く流れは、主として日本の太平洋岸からだなあ、ということが見えてきます。実際、1838年の日本の長者丸がアラスカまで漂流してアメリカの捕鯨船に救助された例があるそうです。

1万数千年前というと、日本は縄文時代。縄文人のDNAとトリンギット族やハイダ族のDNAを解析するともっとはっきり結論がでるのかもしれませんが、その資料は見当たらなかったので何とも言えません。何はともあれ、シトカスプルースのギターを弾きながら、シトカの森と、トリンギット族やハイダ族の暮らしと、日本の縄文時代が繋がっている可能性に思いをはせるのも、なかなかオツなひとときではないでしょうか。

 

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