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ポルトガルの音楽 ファド(Fado)

日本の演歌を聞いていると、ポルトガルのファド(Fado)という音楽を思い出すことがあります。大陸の東端と西端に遠く離れながらも、なんだか同じ匂いがあるような気がして。

ファドとはこんな音楽です。

ポルトガル固有楽器のギターラ(洋梨型ボディのもの、スチール12弦)とヴィオラクラシカ(クラシックギターのこと)とマイクを使用しないファディスタの歌声。それが織りなすきらびやかなのにメランコリックな旋律。語るようでもあり熱唱するようでもあり、悲しいようでもあり明るいようでもある。そんな不思議な魅力ある響きです。

ファドの歴史は19世紀、ポルトガルのリスボンからはじまると言われています。ポルトガルの植民地ブラジル起源説もありますが、ホセ・アルベルト・サルディーニャは、リスボンの町で物語歌を歌う盲目の物乞い音楽家が広めたという説を支持しています。

ファドの語源は諸説ありますが、宿命を意味するラテン語“Fatum”説、作曲することを意味するスカンジナビア語のファタ説、詩人を意味する古フランス語のファティスト説などがありますが、いずれにしてもリスボンの様々な文化の混合スープから生まれてきたというイメージは共通にあるようです。

ファドはリスボンの下層階級の庶民によって、歓楽街、闘牛場、路地、居酒屋などあらゆる場所で歌われ、19世紀半ばにリスボンの劇場でも演奏されるようになり、19世紀末から20世紀初頭にかけて有名になります。Maria Severa(1820〜1846)という人気のファド歌手と Vimioso 伯爵との身分違いの悲恋と彼女の26歳という早すぎる死などが話題になったことをきっかけに貴族のサロンにファドが広がり、やがて王室でもファドが演奏されるようになり、この話が1931年には“A Severa”として映画化されたことで世界中にファドが知られることになります。1930年代から1940年代には、映画、劇場、ラジオがファドを取り上げて商業化され、その後ファド・ハウスが誕生してプロのファディスタを見ることができるようになり、ファドは現在ユネスコの無形文化遺産に指定されています。

ファドでよく唄われる内容は、憧れと訳されるサウダージ(喪失感、欠乏感、距離感、愛感が混ざり合った感覚)、郷愁、嫉妬、典型的な近所の日常生活の小さな物語、そして闘牛など。社会的政治的問題については政権によって検閲されたため、ファドの内容にはなりませんでした。

以上がファドという音楽の概要です。盲目の物語系音楽家から始まるというところが琵琶法師や瞽女唄を思わせたり、歌われた場所や歌の内容そして使われる楽器が日本の酒場の流しや門付けのようでもあり、貧しい下層階級の歌手と貴族の交わりの物語が今様を歌い舞う白拍子と武士や貴族の物語に似ていたり、悲恋の愛好が江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃のようでもあり、随所に既視感が感じられます。

人間の歴史というのは洋の東西を問わず案外同じパターンの繰り返しで、これぞ日本の音楽とかこれぞポルトガルの音楽とか思っても、それは根っこのところで繋がった人間の音楽というだけのことなのかもしれません。もしかして、強く民俗的な固有性を感じるときほどそれは普遍性に触れていたり、逆に普遍性に迫ろうとするほどそれは固有の色彩を帯びてくるという天邪鬼(あまのじゃく)な仕組みがあるのでしょうか。

 

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