あれこれいろいろ

演歌というジャンルの始まり 日本の心の音楽という表現について

演歌の歴史、前回の続きです。

後に演歌と言うジャンルにまとめられていくレコード会社専属制度から作られてくる様々な楽曲群は、レコード会社の「邦楽部」が取り仕切っていました。

しかし、レコード会社にはもうひとつ「洋楽部」があり、洋楽の翻訳・外国の著作権ビジネスのノウハウに基づく洋楽の宣伝や頒布などを手掛け、そこには邦楽部とは異なるシステムがありました。

この洋楽部に昭和42年~44年頃大流行するグループサウンズ音楽(略してGS)が入っていきます。GS音楽は、少人数のバンド編成で、自ら演奏し、自ら作詞作曲するというのが典型的なスタイルですが、これが邦楽部の専属制度のような、先生から曲をいただいて歌手が歌わせていただくという上下秩序を基準に仕事と利益を分配するシステムには適合しにくかったことから、洋楽部の担当になっていったようです。そして、洋楽部とラジオ・テレビ・芸能プロダクション・音楽出版社などの諸勢力の結びつきの中から、専属制度の外でレコードを製作しメディアを通じて流行させるという新しい回路が生まれていきます。

このレコード会社の洋楽部に生まれた回路が後のフォーク、ロック、アイドル、ニューミュージックなどの流れに繋がっていくことになるのですが、それは音楽的にも新しい特徴を示し、循環コードや順次進行のような和声的な構造に基づく旋律、サビと呼ばれるワンコーラスを二回ないし三回繰り返す構成、オーケストラ(ビッグバンド)中心の伴奏からエレキギターとベースとドラム中心のサウンドへの転換、米英の若者音楽の要素を取り入れた編曲、七五調の定型歌詞からの脱却、美文調から日常語彙への転換、感覚的な印象に訴えるキャッチフレーズなどの特徴が生まれ、邦楽部の専属制度の回路から生まれる従来型の音楽と差別化されていきます。

このようなレコード会社専属制度からフリーランス作家が活躍する回路への移行が起きてきたのが1960年代で、このとき専属制度の古いシステムで作られた楽曲をひとまとめにした表現として「演歌」(艶歌)という言葉が生まれてくることになったようです。そして、1970年代になると、演歌というジャンルがあたかもずっと昔からあったかのような認識が一般的になり、それは古臭い音楽の匂いとともに、古臭いからこそ、これぞ日本の原風景・日本の心という印象も醸成されてくる、というのが概括的な流れのようです。

こうして生まれた演歌というジャンルにある種の意味付けをして流布したのが、五木寛之の「艶歌」という小説(1966年)だったそうです。その中の登場人物が語る言葉、「あれを下品だというのは間違いじゃない。でもあの歌い方には、何かがあります。押さえつけられ、差別され、踏みつけられている人間が、その重さを歯を食いしばって全身ではねのけようとする唸り声みたいな感じです。大組織の組合にも属さない、宗教も持たない、仲間の連帯も見出せない人間が、そんな、ばらばらで独りぼっちで生きてる人間が、あの歌を必要としているんだ」とか、「艶歌は、未組織プロレタリアートのインターなんだよ。組織の中にいる人間でも、心情的に孤独な奴は、艶歌に惹かれる。ありゃあ、孤立無援の人間の歌だ。言うなれば日本人のブルースといえるかもしれん」などという表現が、演歌という名前を冠された楽曲群に、政治的・哲学的・歴史的意味も後付けする効果を生んだようです。

確かに、演歌いう言葉が、1960年代までの古いレコード歌謡の集積として生まれたと言う意味では、演歌と呼ばれるものには様々な日本的な心情が含まれていたと言えるでしょう。しかし演歌というジャンルはごく最近までなくて、後から名前と意味が付け加えられたという点では、演歌は日本の心という表現には、真実と虚構の両方が含まれていると言えそうです。

そして現在へ。今やニューミュージック、アニソン、Jポップなど、世界中に日本の音楽のファンが拡大中で、どうやら外国の人たちは、そこに濃厚に日本的なものを感じているらしい様子です。とすると、別に演歌だけを取り上げて日本の心とか日本の原風景とか言わなくても、日本に生まれる楽曲は全部何かしら日本の風景や心やリズムや旋律がいっぱいに入り込んでいるらしい。レコード会社の邦楽部だの洋楽部だのという区分けも相対化されいる現在、演歌とそれ以外というこだわりや時代的な意味付けも一旦ゼロに戻して、自由にフラットに楽しんでみるのもよいのではないでしょうか。そうすると、Jポップも演歌も様々な国の様々な音楽も含めた全体の中から、新たに浮かんでくる日本的な魅力が見つかりそうな気がします。

フラットな鑑賞の例として、外国人が演歌を楽しんでいる動画をふたつどうぞ。 細川たかしと石川さゆりが、どちらも演歌と言いながら全く別の系統の音楽だということを一発で聞き取り、それをバイブスとかブローとかクレイジーとかいう表現の中で、世界的な視野で本質を語っています。演歌というジャンル分けや意味付けにとらわれていないからこそ聞きとれるものがあるのではないでしょうか。☟

 

参考・『創られた「日本の心」神話』 輪島裕介著 光文社