あれこれいろいろ

演歌というジャンルの話 レコード会社専属制度から生まれてきた音楽

光文社の本『創られた「日本の心」神話 輪島裕介著』によれば、演歌というジャンルは、昭和40年代に成立し、案外新しい歴史なのだそうです。

演歌歌手の歌い方の系統はひとつではなく、三橋美智也や細川たかしの民謡調、三波春夫や村田英雄の浪曲調、島倉千代子の江戸小唄俗曲調(芸者調)、東海林太郎の西洋クラシック調、北島三郎や藤圭子の酒場流し調、美空ひばりのジャズもブギもロカビリーも何でも対応してしまう万能調など多岐に渡ります。演歌の特徴とされる「唸り」や「こぶし」の技法は、浪曲師がレコード歌手に転向する中から始まった演歌の歴史全体の中でも比較的最近のものだそうです。演歌メロディの精髄のように考えられている古賀メロディも流行当時はラテン風や南欧風の舶来のモダンな音として聞こえていたのだとか。

このように技術的にも内容的にも多岐にわたる雑多な楽曲が昭和40年代から演歌というジャンルに事後的にまとめられ、古き良き日本の心のように喧伝されるようになったのですが、それは「レコード会社専属制度」と関係があるそうです。

以下、『創られた「日本の心」神話』から、レコード会社専属制度の説明部分の引用しますと、

歌手はもとより、作詞・作曲家、演奏者に至るまでレコード会社と専属契約を結びました。販売店に関しても特約店制度がとられ、楽曲の企画から録音、販売に至るまで、レコード会社の丸抱えだったわけです。 レコード会社の文芸部所属の社員ディレクターが企画を立て、作詞家によって定型的な歌詞が先に作られ、作曲家によって旋律と簡単なハーモニーか付され、オーケストラ伴奏にあわせて専属歌手が歌うという分業が基本となりました。 (中略) 専属制度の成立以降、歌手になるのは作曲家の「門下生」(多くは内弟子やかばん持ち出身)に限られ、歌手は「先生」である作家から曲を「いただく」という徒弟制度的な関係が基本となりました。一曲一歌手の「持ち歌」が原則で、他社の作家の曲はもちろん、同社内であっても他の「門下」の曲を歌うことは禁忌でした。

このようにレコード会社が圧倒的支配力で楽曲の製作興行録音販売のすべてを取り仕切り、内部では作曲家と作詞家が先生、歌手はその徒弟という封建的上下秩序が行き渡り、その中で生まれる楽曲は会社が支配するルートで独占的に頒布販売され利益が分配されいくという体制が、日本のレコード歌謡界の初期の姿だったのです。

なぜそのようなどこか封建社会を思わせる形になったのか、理由はこの本に明言されていませんが、例えば琵琶法師や瞽女など、日本古来の音楽職業集団がある種の音楽を一手に支配し徒弟的な絶対服従型上下秩序の中で音楽の継承と利益の分配が行われるという、平安時代まで歴史をさかのぼる古い音楽システムが、そのままレコード会社にスライドしたのでしょうか。

このような専属制度から組織的に作られる楽曲には、自然とある共通した傾向が生まれたようです。七五調の詞形、股旅もの・悲しい恋・望郷ものなどの共通的な主題、ヨナ抜き五音音階による旋律、フルバンドによる伴奏、作詞作曲家の力関係や持ち歌制度などから生まれる下積みの苦労話やひとつの曲を歌い続けて苦節年何といった物語性など、後にひとくくりに演歌と呼ばれる楽曲群の共通性が育まれていったようです。

つづく

藤圭子と北島三郎 酒場の流しふうの例 持ち歌制度を前提に、特別の許可を得て人の持ち歌を歌うという形 ☟

島倉千代子 こぶしや唸りのない江戸俗曲ふう平板な歌い方 ☟

村田英雄 浪曲調☟