歌垣の特徴は、相反する力が常に均衡を取り続けるところです。
遊び心と真剣さ、虚構と真実、信頼と疑い、秘密性と公開性、男と女、歌う当事者と周囲の第三者、情熱と現実、出会いと別れ、定型性と即興性などなど。
それら両極がいつもそこにあって、押したり引いたり、力の均衡する場を作って、その中で何時間も歌のやりとりが続いていきます。その両極の波を作ることによって、長時間の継続が可能になります。
たとえば白族の歌垣では、
「百年たっても一緒に親密にしてくれるというのですね。私も同じように親密にしたいと強く思っています。二人が愛し合うのであれば愛し合いましょう」
と情熱的かつ協調的に歌ったかと思うと、しばらく後には、
「本当の話を言います。あなたと付き合うのは難しいです。私は力を尽くしてこんなに沢山歌を歌ったのに、私の心がまだわからないのでしょうか。私が欲しいのはあなたの心をこめた愛情しかりあません」
と離れる方向で歌い始めて、そのあとにはまたぐっと近づく歌も出てきて、しばらくするとまた疑ってみたりと、対立と協調の二方向力学が働き続けて、その波の継続の過程でだんだんと落ち着くところに落ち着いて、最後に一緒になるのか別れるのかは自然に結論に導かれていくのでしょう。
対唱という形式で生まれるこの相反性の力学と、そこから時間をかけて自然に生み出されてくる結論を尊重するという文化は、非常に洗練されて先進的なように思います。
「歌垣と神話をさかのぼる」 工藤隆著
このような対唱の様式は、白族の争いごとの訴訟の際にも見られるそうで、背反する主張の間で時間をかけて波のように揺れ続けることで最終的な結論に導かれるという同じ力学なのでしょう。
歌い合うことにより導かれるところに行くという文化は、現代では少なくなっていますが、関連する文化はいくつか見つかります。非常に洗練された文化のように思うので、現代的な装いで再興すると面白いなあと思います。ラップバトルはそのひとつのようにも見えますが、けなし合いディスり合いというところに止まるのか、その先に行くのかに注目しています。
以前に書いた関連記事☟
訴訟における対唱の例として、アイヌのチャランケ。
南米の対唱文化、アルゼンチンのpayada
二方向の力学が常にバランスを取り続ける例、インドネシアの音楽。