あれこれいろいろ

アズマリの収穫作業音楽

エチオピア高原の吟遊詩人アズマリの多くは農村出身者で、町で音楽活動をしながらも、農村の様々な行事に参加して密接な関係を維持しているようです。日本の平安時代以降の芸能者の多くも、酷税から逃れて農村から都市に流出した人々でしたが、農村との関係があった様子と似ています。アズマリを見ていると日本の古い芸能の原点を垣間見るような気がします。

農村におけるイネ科の穀物テフの刈り取り作業に、アズマリはマシンコの演奏と歌で加わるそうです。

「我々はテオドロス皇帝の国、ゴンダールの勇者だ、敵ども覚悟せよ!」収穫作業のうしろでアズマリが大声で繰り返し、農民たちは横一列に並び、鎌を手に、テフの根元を握りながらしゃがんで跳躍し、リズミカルに一体となって刈り取り作業を行います。

そしてアズマリは作業する農民の後ろでフッカラという戦場の名乗りの雄たけびを上げます。フッカラとは、敵の前で名前と出身地を名乗り、自己の戦功を誇示し、敵を威嚇する行為です。アズマリのフッカラで収穫作業中の農民たちは一瞬にして戦場の勇壮な兵士です。アズマリが時折、銃声を模した擬声を出します。農民たちのいよいよ勇壮になり、リズミカルな跳躍はますます勢いを増し、ぜいぜい言いながらも刈り取りにまい進します。

やがて刈り取りに熱中していた農民たちが突然鎌を投げ捨て踊りはじめます。両手を腰にやり二人一組で向き合って、マシンコの演奏に合わせて肩をふるわせ、サップサップの掛け声とともに踊り狂い始め、感極まった一人が、マダーニアラム!と天を仰いで叫びます。マリア様よ、恵みに感謝します、というような、あふれる感謝の叫びです。かくして収穫作業は歓喜の色を帯びていきます。

休憩時間になって地酒のタラが回されると、わざと大地に大量にこぼしながら飲み干します。こぼれた分は大地の取り分となり、感謝の酒となります。お代わりをして喉を潤す間、アズマリの、飲め飲め、これがタッジ(蜂蜜酒)だと思って飲みやがれと、いうジョークの掛け声が高原に響きわたります。

(以上は、エチオピア高原の吟遊詩人 川瀬慈著 音楽之友社 より一部要約)

こんなのがアズマリの音楽が加わったエチオピアの収穫作業で、収穫に音楽が加わることの意味がよくわかります。刈り取りの労働効率を上げるのはもちろんですが、労働が熱を帯び、人々の一体感を作り、大地や神への感謝の念を呼び覚まし、作業を生きる歓喜にまで押し上げるという、とてつもないマジックです。人々と大地と神との一体感、それらの相互感謝という、極上の時となっています。

日本ではこのような芸能を見ることはなかなかできませんが、かつては形は違えど似たような機能を果たす労働音楽があったのだろうと思います。儀式化されて形式化された伝統は残っていると思いますが、アズマリのような生活に密着した躍動感、生命観はやはり望めません。

貧しく原始的な集団労働環境の中でこそ生まれた音楽であり、そこには貧しさゆえの多くのひずみがあるはずなので、無条件に理想化すべきではありませんが、日本の現代の社会環境に適応する形で、生き生きとした生命感のある作業音楽を再興することができれば、たいへん豊かな音楽になる可能性があるのではないかと思います。

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