あれこれいろいろ

Bodysharingから考える音楽

現在研究開発が進んでいるBodysharing(ボディシェアリング)では、人とコンピューターの身体の情報を相互伝達することで、遠隔地やヴァーチャル空間内にいるキャラクター・ロボット・他者と、視聴覚だけでなく身体の情報を含めた体験が共有されます。具体的には筋肉の膨らみから、身体の位置や動き、力の入れ具合などを受容する「固有感覚」 を検出する技術と、多電極の電気刺激を腕に与えて固有感覚を伝える技術のふたつを使うことによって、ロボットや他者の身体に対しても身体主体感や身体所有感が得られることになります。たとえばボルダリング選手の動きを体感する場合など、その筋肉の動きや力の入り具合、腕や脚の折り曲げ方や動かし方などをシェアする過程でデータが蓄積されます。人とコンピューターで相互にアウトプットやインプットをするデヴァイスとして、posessedhand(ポゼスドハンド)やunlimitedhand(アンリミテッドハンド)が発売されています。

では実際のところ、ボディシェアリングによる体験の共有とはどんな感じなのでしょう。牛の搾乳体験(MilkingVR)というVRとボディシェアリングを組み合わせた実験(人が牛になって搾乳される体験)の報告がとてもおもしろいので以下その抜粋。

「電気刺激によって搾乳されるとお腹の複数個所がギューッと絞られるような感覚を得た。数分間の体験にもかかわらず、終わったあとはしばらく立ち上がれなくなった。他の体験者も同様に体験後はしばらく四つん這いのまま放心状態であった。単にVRで視覚情報を得るだけでなく固有感覚も得るので、非常に没入度が高くなり、デヴァイスをはずした後もしばらく牛の感覚を引きずってしまい、自分は本当に人だったのか、牛なのではないか、という感覚すら生じてしまった。」

この没入度はすごいですね。腹回りの筋肉という限定的なボディシェアリングでさえこの没入が生じるなら、技術がさらに進んでボディシェアの身体範囲が広がると、自他の区別もあいまいになりそうです。人間ばかりでなく、動物や昆虫、さらにはバーチャル空間のアバターやロボットとも自己同一感が生まれそうです。

ここで音楽の話ですが、ボディシェアリングによるこの深い没入感と音楽は様々な結びつきが生まれるにちがいありません。プロの演奏を体感して演奏のコツをつかんだり、プログラム次第で疑似的にモーツァルトと重なって演奏を体験してみたり、複数の他者と体感を重ねながらアンサンブルを行ったり、可能性はいくらでもありそうです。自分とアバターの音楽体験をリンクさせた世界観は、細田守監督が「竜とそばかすの姫」でアニメ映画化していますが、あの世界感はもう単なる絵空事ではない時代に来ているのでしょう。複数のアバターと同時に自己同一感を感じながら演奏を体感したりすると、人類がいまだ体験したことのない音楽体験になります。手が四本になってピアノを弾くようなこともリアルに体感できるようになると、脳が進化してしまいそうです。

(参考、玉城絵美著「BODYSHARING」)。