あれこれいろいろ

音楽は平安貴族のたしなみ

平安貴族にとって楽器を演奏することはごく身近なことであったようで、例えば『源氏物語』若紫には、次のような文があります。

 岩隠れの苔の上に並みゐて、土器〔かはらけ〕参る。落ち来る水のさまなど、ゆゑある滝のもとなり。頭の中将、懐〔ふところ〕なりける笛取り出〔い〕でて、吹きすましたり。弁の君、扇、はかなううち鳴らして、「豊浦〔とよら〕の寺の、西なるや」と歌ふ。人よりは異〔こと〕なる君達を、源氏の君、いといたううち悩みて、岩に寄りゐ給へるは、たぐひなくゆゆしき御ありさまにぞ、何ごとにも目移るまじかりける。例の、篳篥〔ひちりき〕吹く随身〔ずいじん〕、笙〔さう〕の笛持たせたる好き者などあり。
僧都〔そうづ〕、琴〔きん〕をみづから持て参りて、「これ、ただ御手〔て〕一つあそばして、同じうは、山の鳥もおどろかし侍〔はべ〕らむ」と切〔せち〕に聞こえ給〔たま〕へば、「乱り心地、いと堪〔た〕へがたきものを」と聞こえ給へど、け憎からずかき鳴らして、皆立ち給ひぬ。飽〔あ〕かずくちをしと、言ふかひなき法師、童〔わらは〕べも、涙を落としあへり。

〔訳例〕

岩陰の苔の上に並んで座って、杯でお酒を召し上がる。落ちてくる水の様子など、趣のある滝のほとりである。頭の中将が、懐に入れてあった横笛を取り出して、みごとに吹いている。弁の君は、扇を軽く鳴らして、「豊浦の寺の、西にある」と歌う。普通の人よりは優れた子息たちであるけれども、源氏の君がとてもひどく苦しそうにして、岩に寄りかかって座っていらっしゃるのは、並ぶものがなく不吉なぐらいに美しい御様子であるので、どういうことにも目が移りそうもなかった。いつものように、篳篥を吹く随身や、笙の笛を持たせている風流な者などがいる。
僧都は、七弦琴を自分で持って参上して、「これを、ほんの一曲演奏なさって、同じことならば、山の鳥をも驚かしましょう」としきりに申し上げなさるので、「気分が悪いのがとても我慢できないのに」と申し上げなさるけれども、源氏の君は無愛想でない程度に掻き鳴らして、皆、出発した。名残惜しく残念だと、取るに足りない法師や下働きの子供も、皆で涙を落としている。

源氏物語には、楽器が登場する場面がほかにもたくさんあり、儀式張った雅楽ばかりでなく、うちとけた音楽交流が日常的に行われていたことがわかります。貴族たちが笛や琴や拍子や歌や舞で楽しみ、護衛やお供の者も篳篥や笙などで音を添え、貴族ばかりでなく身分の低い者も音楽に通じていた様子が見えます。平安貴族というと和歌の交流のイメージが強いですが、音楽もそれに劣らない楽しみ・たしなみであったようです。

参考・訳文引用元↓

http://hal.la.coocan.jp/b_class/omake_04.html