あれこれいろいろ

スペインからアフリカ北岸に渡った人たち

1492年にスペインからイスラム教徒が排除され、レコンキスタが完了したわけですが、このときまでに多くの難民が地中海対岸のアフリカ側(アルジェ、チュニス、トリポリ、モロッコなど)に移動しました。当時アフリカ側は、イスラム教のオスマン帝国の勢力圏で、また地中海のヨーロッパ船を襲うバーバリー海賊の本拠地でした。このアフリカ側ではイスラム教徒の難民たちを当初は歓迎的に受け入れていたようです。

他方イスラム教からキリスト教に改宗したモリスコと言われる人たちは難民化せずスペインに残ったのですが、日常的な差別や復讐などに疲弊し、結局は1610年以降、フェリペ3世の布告により、このモリスコたちも全員追放されて難民化してアフリカ北岸に押し寄せました。

1610年以降の難民の中には、キリスト教徒のスペイン人と変わらぬ風習の人たちも多かったようで、アフリカ北岸のサレーという町に来た難民についての伝承には、「彼らの非イスラム的風習、スペイン的服装、言語、習俗のために、また恥と体面の概念の欠落のために、彼らはそこにとどまることを許されなかった」というのが見られます。

結局サレーに来たスペイン的風習をもった難民たちは、サレーの南西側のカスバやラバトという町に移動して住み着きました。これらの人たちは、風習はスペイン的でも、迫害を受けたスペインに対する復讐心に燃えていて、やがて血気盛んなバーバリー海賊になっていったということです。

なんでこんなことを書いたかというと、スペインの庶民的楽器だったルネサンスギターも、このスペイン的風習を維持した難民たちと一緒に、アフリカ北岸にたくさん持ち込まれたんだろうなあ、ということを思ったからです。そしてヨーロッパ人の最悪の敵だったバーバリー海賊の中にも案外ルネサンスギターは存在したのかもしれない…などとということを考えまして、バーバリー海賊の資料などもぜひ見てみたいものだと考えている次第なのです。

参考文献 「海賊ユートピア」 ピーター・ランボーん・ウイルソン著