音楽に直接関係しないのでこのブログ的には余談なのですが、芸妓修業中の舞妓さんだけがどうして「だらり帯」を背中に垂らすのか、ということが気になりまして、だらり帯の起源を色々調べてみたのですが、明確な答えはなかなか見つかりません。
だらり帯の基本情報の解説はこの動画がわかりやすかったです。
江戸中期の歌舞伎役者が帯がよく見えるようにこの締め方を始めたということ、これを垂らすことによってすらりと背が高く華やかに見えたということ、この締め方をするためには通常の帯よりも2メートルほど長い帯を使用しなければならず重量も相当に重くなるということ、着付けをする男衆の腕力と専門技術を借りなければ付けることができないということ、西陣織の中でも製作に手間がかかる特別な帯であるということ、中学卒業の15歳から20歳又は21歳ころの修業期間中だけだらり帯を付けることができるということ、舞妓さんが所属する置屋の紋が帯の末端に見えるようになっているということ、この帯を作ることは西陣織の誇りでもあること、などがこの動画の内容です。
だらり帯の基本情報がわかっても、どうしてそんな高価で特別な帯を修業期間中の舞妓さんだけが付けるのかはまだ謎のままです。「京都花街、舞妓さんだらり帯の謎」というミステリー小説の謎は深まるばかり。
15歳から20歳ころという舞妓さんの年齢からすると、「番茶も出花」と言われる娘盛りこそ、華やかな帯が似合うことから、このしきたりが生まれたという説明がわかりやすいようにも思えますが、舞妓さんが中学卒業以後になったのは労働基準法と児童福祉法ができた戦後からのことで、戦前までの舞妓さんは11歳が最初のデビュー(店出し)で、現在よりずっと子供の姿だったのです。豪華な着物と帯は、子供の体形には負担も大きかったでしょうし、どちらかというと「着せられている」という風情に近かったのかもしれません。
そこで私の仮説なんですが、名付けて「舞妓さんショーウィンドウ説」。舞妓さんは、豪華な帯を皆からよく見えるようにまさに「着せられ」て、動くショウウィンドウになっていたのではないか、という仮説です。
宣伝の中身として考えられるのは三つです。ひとつは舞妓さんが所属する置屋の家紋の宣伝効果、二つ目は西陣織の新作発表的な宣伝効果(バリコレ新作発表的なイメージ)、三つ目は花街の支援者であるご贔屓筋の宣伝効果(相撲の化粧まわしによる資金提供企業の宣伝効果的なイメージ)。
このような宣伝効果があれば、まだ修行期間中に過ぎない子供だった舞妓さんに、わざわざ膨大な経費をかけて立派な着物と帯をつけさせる理由が納得できてくるように思うのです。だらり帯の宣伝効果には、かけた費用をはるかに上回る経済的利益があり、花街という飲食レジャー産業、西陣織という繊維服飾産業、御贔屓筋の各界富裕層という、京を代表する経済界の利益がぴったり一致して、舞妓さんのだらり帯が生まれていたのではないか、というのが私の想像なのですがいかがでしょうか。
もちろん現在は事情は大きく変わり、だらり帯は京を象徴する文化遺産のひとつとなり、単なる経済効果に止まらないメッセージを世界に発信しています。