ちょっと面白い動画を発見。
別々の舞妓さんが、同じ曲を、同じ人の伴奏(三味線と唄)で舞っているので、舞い手の個性の違いが味わえます。
京のお茶屋で遊ぶなど私にはおよそ縁のない世界ですが、様々な個性ある芸を楽しみ、お気に入りの舞妓さん・芸妓さんを贔屓にし、さらには業界全体を支援しようとする旦那の気持ちがちょっとわかるよう。
音楽や芸の歴史は、結局のところ、だれが「推し」てくれるのか、だれが「贔屓」にしてくれるのか、端的に言えば誰がスポンサーになってお金を出してくれるのか、ということに大きく依存します。スポンサーに気に入ってもらえるかどうかということが、音楽の様式や内容を大きく変えていくのは歴史的事実です。
舞妓さんが一人前の芸妓になるまでには、15歳から20歳頃まで、5、6年の修業期間が必要で、その間の生活費、稽古代、衣装代などは莫大になり、業界全体を支援してくれるスポンサーがなければ、芸の継承ができません。音楽を考えるときに、推し、贔屓、スポンサーの獲得問題は、外せないファクターのひとつで、業界全体としてどのようにしてスポンサーを獲得し、それを誰がどのように配分するのかが、多くの(時にはかなり熾烈な)光と影を生み、その光と影は芸の形式と内容に投影されます。
動画を見ながら、どうしてこういう舞が生まれ、どうしてこういう音楽になり、どうしてこういう衣装になったのか、旦那気分の視点になったり、芸を学ぶ舞妓さんの視点になってみたり、業界を運営する三業(お茶屋、置屋、料理屋)全体の視点で見てみたりすることで、芸を作り上げていくエネルギーの総体がおぼろげに見えてきそうに思います。