上の地図は、長崎県の隠れキリシタンの関連遺跡分布図です。
先日載せたヨーロッパのケルト人の分布図と並べてみると、なんだか似てるなあと思います。
中央権力に生活の場を奪われながら、最後は支配の及びにくい半島部や島嶼部だけに残るという経緯が似ています。
ケルトでは自然崇拝的な文化が伝承され、隠れキリシタンは16世紀カトリックの一神教が伝承され、伝承の中身は対照的ですが、押しこめられた文化の非常に長い伝承性という共通項が見られるように思います。
隠れキリシタンのオラショ(祈り)が400年の時を超えて伝承された様子がよくわかる動画をふたつ順にご覧ください。まずは長崎県平戸生月島の「ぐるりようざ」から。
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歌詞 「ぐるりよーざ どーみの いきせんさ すんでらしーでら きてや きゃんべぐるーりで、らだすで さあくらをーべり」
次は原曲です。↓
歌詞 「O gloriosa Domina, excels super sidera, qui te vreavit provide, lactasti sacro ubere.」
生月島のものだけ聞くと、地方色の濃い日本の民謡のようにも聞こえますが、原曲も聞くと、400年の時を経ながら、かなりよく骨格を残していることがわかります。こっそりと隠れて、専門の司祭もないのに、これだけ残るのはやはり驚きです。追い詰められて隠れるからこそ、しっかり記憶して次世代に伝えようという集団の意識が強く働くのでしょうか。