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和琴その3 「琴=言」説を考える

平安文学に、「きんのこと」(琴)、「そうのこと」(筝)、「びはのこと」(琵琶)という語がそれぞれ登場し、古来弦楽器は全部「コト」と呼ばれたそうです。同じく、管楽器は全部「フエ」で、打楽器は全部「ツヅミ」だったのだとか。(おもしろ日本音楽史 釣谷真弓著 より)

また、『古事類苑』の「和琴」の項には、「和琴ハ本邦固有ノ器ナリ、蓋シ神代ニハジマル、故ニ太笛ト共ニ諸器ノ最トナシ、単ニ御琴(ミコト)ト称シタリキ」と記載されており、和琴は「ミコト」と呼ばれていたと説明されています。

この「コト」という名の由来について、琴=コト=言、御琴=ミコト=御言(≒詔・ミコトノリ)=尊または命という言葉の重なりに注目して、古代の日本人はコトという楽器に言葉の力(言霊)があると考え、それが楽器名「コト」の由来なのではないか、という説があります。

古事記には、オオクニヌシがスセリヒメと逃げるときに持った琴の名として「天の詔琴(のりごと)」が登場するのですが、これも天のミコトノリ(詔)=天の命=御琴という同じ思想を含んでいるように思えます。

ここでちょっと視点を変えまして、アフリカのトーキング・ドラムの話なのですが、アフリカの言語は音の高低がはっきりしているため、言語の高低、長短、強弱をドラムで模倣することによって、ドラムを言葉化することが可能になり、ただドラムでは子音を表現できないため誰でも理解できるわけではなく、送信者と受信者の間に数種のパターン認識を共有する専門性が必要になるのだそうです。そしてブルキナファソのモシ王国の王の系譜の朗唱が全部ドラムで行われる例があるそうです。(アフリカの音の世界 塚田健一著 より)

このトーキング・ドラムの仕組みが、琴の理解の参考になるかもしれません。日本の弦楽器は強弱を付けた単音弾きで大変ドラム的ですし、日本語は発音に母音が必ず含まれるため言葉的演奏に適しているように思えます。送・受信者に専門的な共通理解があればモシ王国の王の系譜の朗唱が太鼓で表現できたように、琴でも楽師(巫女、シャーマン)の専門性のもとに高度な言語的演奏が可能なように思われます。日本の弦楽器にハーモニーやメロディの観念があまり見られないのも、このような言語的発想が根底にあるからかもしれません。

というわけで、「琴=言」説は、いろいろ符合するところがあり、かなりうなづける説のように思うのです。

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