あれこれいろいろ

和琴その2 和琴(わごん)の古代の記録いろいろ

和琴の古代の記録にはこのようなものがあります。

・アメノウズメが天照大神を誘い出すべく天の岩戸の前で舞った時、天香弓を六張並べてその弓づるをはじいて奏したという話 (『古事類苑』(明治四三年刊)の「楽舞部」にある「和琴」の項の冒頭部分※)

・オオクニヌシノミコトが、太刀と弓矢と天の詔琴(のりごと)という玉飾りのある琴を持ってスセリヒメと出雲の国から逃げ出したとき、その琴の弦が木に触れて大地がとどろきゆれるばかりの大きな音を出して鳴り、スセリヒメの父のスサノオノミコトに気づかれて追いかけられたという話 (古事記)

・神功皇后摂政前記(3〜4世紀)に、神功皇后(気長足姫)が自ら神主となり、武内宿禰に琴を弾かせたという話 (日本書紀)

・仲哀天皇が熊曾を討とうとして、神意を伺うべく、みずから御琴(みこと)を弾くと、神功皇后が神がかりして神のことばを語ったという話 (古事記)

日本を代表するビッグネームが随分琴を弾いていますね。

琴の響きから、神がかかる、あるいは神に気づかれる、ということが共通テーマになっています。要するに、琴の音は神に聞こえてしまうようです。そし聞こえると神はやってくるという効果に即繋がるようです。現代神社で拍手をするのもこれと同種の発想かもしれません。

さらに時代が下りまして平安時代中期(10世紀)、琴を中心とする長編物語、宇津保物語が生まれています。物語の中身はというと、「遣唐使清原俊蔭が渡唐の途中で難破のため波斯国(ペルシア)へ漂着し、天人・仙人から秘琴の技を伝えられた俊蔭は、23年を経て日本へ帰着。俊蔭は娘へ秘琴と清原家の再興を託した後に死んだ。俊蔭の娘は、北山の森の木の空洞 – うつほで子(藤原仲忠)を育てながら秘琴の技を教えた。仲忠はさらに娘の犬宮に琴を伝授する。そんな伝授関係の中、皇室宮中での恋をめぐる秘琴の勝負とか、兵に襲われたときに琴を弾くと山がゆらぎ兵たちは崩れる土砂の下に埋もれたとか、琴を弾くと月星が騒ぎ氷や雪が降りついには天人が降りてきて舞ったりとか、琴の神通力のエピソードも満載。琴の技の伝授を通して、神通力の技が代々一族に継承されるというところに、話のミソがあります。竹取物語からの影響、源氏物語への影響などがあり、文学的にも非常に重要な位置づけの作品です。

唐に行くつもりがはるかペルシアに漂着して被琴の技を伝授されるというのはやや唐突な感じもありますが、どうしてペルシアなのかについてまた後日少し触れたいと思います。

このように神通力にあふれるものとして認識される和琴ですが、形態的には、最終的に正倉院の和琴の形に落ち着いて今に至り、雅楽の演奏に使われます。雅楽の楽器の中で最も格が高い楽器とされ、昔は高位のものしか演奏することが許されなかったそうです。下の写真は正倉院の和琴☟

さて、そんな和琴はどんな響きなのか。弥生時代や古墳時代の音はまた一味ちがうでしょうが、現代の雅楽の演奏をお聞きください。これは確かに神に聞こえそうな響きです。

※和琴ハ本邦固有ノ器ナリ、蓋シ神代ニハジマル(「ハジ」は偏に旁は方)、故ニ太笛ト共ニ、諸器ノ最トナシ、単ニ御琴(ミコト)ト称シタリキ、(中略)多ク祭祀ニ用ヰル、故ニ又神琴ノ名アリ、(中略)伝ヘ言フ、太古天鈿命ノ歌舞ヲ天窟ノ前ニ奏スルヤ、金鵄命、長白羽命、天香弓六張ヲ並ベ、弦ヲ叩テ音ヲ調フ、時ニ金色ノ霊鵄アリ、来テ弓ハズ(「ハズ」は弓偏に旁は「肖」の正字)ニ止マル。後人桐ヲ斫リテ之ヲ製ス、体ハ箏ニ似テ首ハ鵄ノ尾ノ如シ、故ニ又鵄ノ尾琴と云フ、即チ古ノ遺象ナリ(以下略)とある (『古事類苑』(明治四三年刊)の「楽舞部」にある「和琴」の項の冒頭部分)

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