あれこれいろいろ

マゼラン艦隊やカリブの海賊船は多国籍音楽交流場だったか

大航海時代の海賊船には楽器の演奏家が雇われていて、安息日以外は休みなしに多忙に演奏していたとか、コロンブスの航海では祈りの歌が朝から晩まで定時的に歌われて船内にはいつも歌があったとか、当時の長期航海に音楽が欠かせない存在だった様子を何回か書きました。

1519年から1522年の3年間をかけて世界一周をして地球が丸いことを証明してみせたスペインのマゼラン艦隊の乗組員の出身地は、スペイン人、ポルトガル人、フランス人、ドイツ人、イギリス人、ギリシア人、イタリア人、モロ人(イスラム教徒)、アフリカ人などの多岐に及び、このような各地の人々が3年もの間船内で共同生活をするわけですから、船内は各地域の庶民音楽の交流場になっていたのではないかと考えられます。

1600年代半ばの航海の様子が描かれているデフォーの「ロビンソン・クルーソー」の中には、主人公が奴隷生活から逃れてポルトガル船に拾われたとき、船員たちがポルトガル語、スペイン語、フランス語、スコットランド語で語り掛けてくる場面が出てきますが、1600年代の航海においても船員たちの出身地は多岐にわたっていたようです。

また当時の海賊船は、各国の過酷な生活から逃れてきた逃亡船員のたまり場になっていて、人種、国籍、肌の色に関係なく平等な権利を持つ、多国籍集団だったことが知られています。

当時の世界経済を動かしていたものこそ、これらの多国籍集団の動きであったわけですから、当時の楽器や歌の移動交流の最重要ファクターではないかと思うのですが、そういう方面からの研究はあまり多くないようです。