ルンバと言えばキューバ音楽として知られていますが、その起源となるアフリカには、コンゴ・ルンバがあります。
コンゴ民主共和国の数十年に及ぶ内戦は、死者総計がウクライナ戦争をはるかに上回り数百万人に達しますが、あまり報道されません。現在その紛争が非常に激化し、2025年3月現在、隣国ルワンダ政府の関与が疑われる反政府武装勢力がコンゴ民主共和国東部に侵攻し、ウクライナロシア問題にも劣らない緊急事態になっているそうです。コンゴ民主共和国で紛争がやまない原因は、200以上の言語民族を旧宗主国ベルギーが分断統治したことの歪みが根深く残っていること、今なお130にも及ぶ武装勢力が乱立していること、支配の手段としての児童徴兵や女性に対する組織的暴力が横行していること、30年前のルワンダ大虐殺の怨みが今も渦巻いていること、金やタンタル(パソコンやスマホに使用される希少金属)などの鉱物資源の国際取引に周辺国や大国が群がっていることなどがあり、コンゴは平和以外はなんでもある国とも言われます。
そんなコンゴの希望のひとつが、コンゴ民主共和国の首都キンシャサと隣国コンゴ共和国都市部を中心に展開するコンゴ・ルンバなのです。コンゴ・ルンバは2021年12月にユネスコの無形文化遺産に指定されていて、この音楽は、コンゴに行けば至るところに流れており、葬儀や宗教など日常の中で多用され、多民族の社会の対話と結びつきを促進する重要な役割を果たしています。
コンゴ・ルンバの起源は、コンゴの伝統的な踊りンクンバ(Nkumba)にあります。ンクンバは「腰」という意味の言葉で、次のような踊り。
この踊りと音楽が、奴隷貿易により南北アメリカに渡り、アメリカ大陸の黒人文化に影響を与え、北アメリカでのジャズ、南アメリカでのルンバの開花を促します。このアメリカ大陸のジャズとルンバがコンゴに還流して現代的に大きく変容し、コンゴ・ルンバとなるのですが、コンゴ・ルンバの創始者とも言われ大きな影響があった人が、グラン・カレ(1930-1983)。コンゴ音楽を他の黒人音楽と結びつけ、個人ではなく集団で音楽を作るという新しい方法を生み出し、恋や愛の歌が多かったルンバに政治的メッセージを付け加え、植民地支配による不正、不平等に対する国民の結束を促したと言われています。そしてコンゴ民主共和国が1960年6月30日コンゴが独立する際にカレが作った“Indépendance Cha Cha”が演奏されると、これが国民的人気を博し、この曲を通してルンバの影響力は国全土に浸透し、コンゴ・ルンバはコンゴのアイデンティティーや共同体の象徴となりました。グランカレのIndépendance Cha Chaはこんな曲です。☟
明るいですね(^^♪。 政治性というから、もっと重い感じかと思ったら、こんなにも明るいのは意外でしたが、明るいからこそ強い社会性と政治性を持ち得るというのは、考えてみれば自然なことかもしれません。
コンゴ・ルンバは、コンゴの民族音楽、カリブ音楽、ラテン音楽の楽器などを組み合わせて進化し、コンゴ・ルンバの王とも言われる「パパ・ウェンバ」がロックの要素を取り入れ、リンガラミュージック(スークース)に進化し、アフリカ各地に広がり、さらに世界で親しまれるようになっています。
パパ・ウエンバ☟
このスークースから「ンドンボロ(Ndombolo)」というダンス音楽が生まれ2000年前後に流行。その腰の動きが猥褻であるとして、規制されたり禁止されたりする動きがずいぶんあったそうですが、このダンスは、猥褻というよりも、コンゴ・ルンバの起源にあった民族的なダンスの「ンクンバ(Nkumba)」に先祖帰りしているようにも見えます。
ンクンバ☟