イエズス会は新大陸発見後の南米において活発に宣教活動を行い、その際音楽は重要な役割を果たしました。
当時の独善的な西洋視点からは、定住生活をせず労働の習慣もない南米先住民は、「人間以下」あるいは「野蛮人」で、理性を理解することができない者と捉えられたため、理性に訴えかける前に感覚に訴えかけることが有効であると考えられ、音楽を積極的に使用する発想に繋がったようです。
例えば、ユリアン・クノグラー神父は、パラグアイ川上流域のチキトスの先住民について次のように述べています。
「これらの人々は、秩序なく野蛮な生活をしており、野生の状態にあるため、少なくとも宗教教育の初期段階においては、理性というものを理解することができないのです。それゆえ、彼らの精神がこういった点で発達するまでは、知識や、目に見えないものを崇拝する心を植え付けるために、別の方法を取らなければなりません。たとえば、彼らの耳を満足させるもの、彼らがその手で演奏できるものなどがよいでしょう」
また、18世紀の知識人ロドヴィコ・アントニオ・ムラトリは、南米大陸のイエズス会の音楽を使用した活動について、次のようにの述べています。
「異教徒たちを本当の宗教へと惹きつけるために…中略…考え出された素晴らしい方法についてここで述べておきたいと思います。それは音楽です。勤勉な宣教師たちは、多くの場合十分な知識を持っており、一部の者は完璧なまでに音楽に習熟しています。ハーモニーに対する先住民の傾倒には信じがたいものがあり、宣教師たちは特に最初期、それを少なからず利用しました。小川の岸辺でキリスト教教理の讃美歌や他の聖歌を歌い始めると、野蛮人たちは洞穴から出てきて呆然とし、また惚れ惚れとして歌い手に付いてきます。そしてある程度の人数が集まったのを確認すると、宣教師はイエス・キリストの素晴らしさと教訓に関する講話を始め、そうすることによって集住化への可能性を開いていったのです」
このような考えを背景に、音楽による宣教が活発に行われ、それは結果として大きな効果を発揮しました。
ホセ・デ・アルセ神父が、先住民チリグアノと初めて接触する際、同じ言語を話す先住民何人かを伴っていき、うち一人が楽器を鳴らして彼らの言語で歌うと、チリグアノは大変喜んですぐに歌を学びはじめるものがおり、中には唯一の息子を差し出すからその歌を学ばせて欲しいというものさえいたということです。
また、ルカス・カバジェロ神父が、キリスト教徒を引き連れてキリキカという先住民集団を訪れた際の様子は次のようでした。「キリスト教徒たちは二重唱で連祷を歌いました。野蛮人たちはこれほど調和したハーモニーを聞いたことが今までなかったので、天上の何かに思われたらしく、夢中になって聞いていました。それを見て、神父は何人かの子供を洗礼に連れてこさせました」。
以上の各引用は、「宣教と改宗 南米先住民とイエズス会の交流史」金子亜美著 風響社 からです。
先住民の音楽に対する優れた資質がどういうわけか野蛮人という解釈に結び付けられ、都合よく利用されてしまった形ですが、それにしても音楽が持つ波及力の大きさには驚くべきものがあります。
こうして音楽によって惹きつけられた先住民は、以後教化村の定住生活に組織化され、労働の習慣と西洋風の生活様式を仕込まれ、キリスト教教理を教え込まれ、次第に搾取と迫害と闘争の世界に翻弄されて行くのですが、その様子は、「幻の帝国 南米イエズス会士の夢と挫折 伊藤滋子著 同成社」に詳しく紹介されています。
こうして音楽から始まった宣教は、よくもわるくも現代の南米の暮らしと文化の基礎石のひとつになっていきます。