あれこれいろいろ

インドのゴアと日本 教理(ドチリナ)を歌って歩く子どもたちの様子

イエズス会の東洋宣教の中心地であるインドのゴアにも、セミナリオ(セミナリヨ)とコレジオが設置され、少年たちに教育が行われていました。

ゴアのセミナリオでは、キリスト教教理、読み書き、算術が教えられていましたが、やはり音楽も教育の重要な要素で、1562年のゴアでの生徒たちの歌う様子が次のように報告されています。

「キリスト教教理が学校では一日2回歌われ、下校中も集団で町中の道で歌い続け、おそらく、それを見たり聞いたりしている人々にも大いに信心を思い起こさせている。日が暮れてからも、家にいる人たちに歌ったり教えたりしている。私たちが泊まっている所の隣家からも、しばしば教理が歌われているのが聞こえてくることを喜ばしく思い、安堵している」

これと似たような状況が、ほぼ同じ頃である1561年の日本にも見られます。(フェルナンデスの書簡・イエズス会の府内教会付属初等学校の様子)。

「8か月ほどでドチリナ(教理)を知らない子供らは一人もなく、舌の回らないような子供までが、少なくともミゼレーレ メイ デウスを覚え、町々を歌い歩くので、異教徒たちまでが口ずさむほどとなった」(フェルナンデスの書簡)。(なお、この教理は日本語に翻訳されていた)

キリスト教教理に旋律を付けて子どもたちに歌わせて覚えさせる教授法は、ヨーロッパのセミナリオでも一般的に行われていましたが、東洋の宣教では、子どもたちの歌声を通した地域全体への教理の浸透という一種の広告塔のような役割も果たすことになり、宣教に大きな効果があったようです。

参考・音楽面からみるイエズス会の東洋宣教 深堀綾香

洋楽伝来史 海老澤有道

 

 

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