三味線を持って歌い何軒も門付けをして歩く盲目の門付け芸人(瞽女、ぼさま等)は、声を張って歌い続けていては体が持たないので、調子を下げて楽に歌うようにしていたそうです。喉は収入源として何より大事なものであり、喉を痛めて歌えなくなることは、社会の中で生きる身分の喪失にも近いものがあったことでしょう。
青森で男性盲目門付芸人はボサマと呼ばれていましたが、その一人高橋竹山氏は、次のように言っています。
「門かけて何十軒と歌わねばならないボサマたちは、当たり前の調子で歌っていれば、体が持てるもんでなかった。…調子を下げて楽に歌った」「(ここは人がいる)と思って、花のお江戸の~とやる。それもなるべく長く三味線鳴らして、あまり唄わないうちに早く来てくれればいいと思いながら待っているんだ。家の中で米をくれそうな音と気配がする。そせばうたい出す。せば、唄の好きな人は、ボサマ声いいな、米コけるからもっと唄ってくれっていわれれば、今度口説うたうたうわけ」
また長岡系の瞽女さんの瞽女唄のひとつ「岩室」には、大音響でしつこい三味線伴奏と低い音域設定が見られ、歌の負担を減らす工夫がみられるそうです。
このような歌い方や伴奏の仕方を、「手抜き」とか「いいかげん」と評価したり、芸術性や音楽性が低いと見たりすることは、公平な見方ではないでしょう。むしろ、歌や楽器はおかれた状況に応じて変化することで、状況にぴったりの美しさが開花していく、ということの実証のように思われます。楽に歌う必要から生まれるやわらかい歌声、そのための新しい楽器の弾き方、新しい芸の構成が、音楽世界をひとつ豊かにしたのではないでしょうか。
参考・「瞽女うた」 ジェラルド・グローマー著 岩波新書