あれこれいろいろ

枕草子の楽器評  「をかし」≒「やばい」説で翻訳してみると

清少納言の枕草子は「をかし」の文学と言われます(紫式部の源氏物語は「あはれ」の文学と言われます)。

「をかし」は一般に「趣がある」とか「情緒がある」などと訳されることが多いですが、今現在の言葉の中では、「やばい」が適用場面が似ているという話があります。

そこで、当時の楽器のことを書いた段として有名な枕草子第207段を、「をかし≒やばい」説で訳してみました。

まず原文はこちら。

 笛は横笛、いみじうをかし 遠うより聞ゆるが、やうやう近うなりゆくもをかし
近かりつるがはるかになりて、いとほのかに聞ゆるも、いとをかし
車にても徒歩にても馬にても、すべて懷にさし入れてもたるも、何とも見えず
さばかりをかしきものはなし
まして聞き知りたる調子など、いみじうめでたし
曉などに、忘れて枕のもとにありたるを見つけたるも、猶をかし
人の許より取りにおこせたるを、おし包みて、遣るも、ただ文のやうに見えたり

笙の笛は、月のあかきに、車などにて聞えたる、いみじうをかし
所せく、もてあつかひにくくぞ見ゆる
吹く顏やいかにぞ それは横笛もふきなしありかし

篳篥(ひちりき)は、いとかしまがしく、秋の蟲をいはば、轡蟲などに似て、うたてけぢかく聞かまほしからず
ましてわろう吹きたるはいとにくきに、臨時の祭の日、いまだ御前には出ではてで、物の後にて、横笛をいみじう吹き立てたる、あなおもしろと聞くほどに、 半ばかりより、うちそへて吹きのぼせたる程こそ、唯いみじう麗しき髮持たらん人も皆立ち上りぬべき心地ぞする
やうやう 琴・笛あはせて歩み出でたる、いみじうをかし

この原文を、「をかし≒やばい」説で訳してみると…

笛のなかでも、横笛はかなりやばい。
遠くに聴こえる笛の音が、だんだん近づいて来るのがやばい。
近くで聴こえていた音が、遠ざかってかすかに聴こえるのも、すごくやばい
牛車でも歩きでも馬に乗っても、懐に入れたらわからないし、こんなにやばい楽器はほかにない。
まして自分が知っている曲の笛の音が聴こえてきたら、めちゃくちゃめでたいと思う。 夜が明けて男が忘れていった横笛を枕もとに見つけた時も相当やばい。
相手の男が笛を取りによこした使いに、紙におし包んで持たせるとき、まるで手紙のように思える。

笙の笛は、月の明るい夜に牛車の中で聞こえるのは、かなりやばい。
楽器が少し大きめで、持ち扱いにくいようだ。
(笙を吹く時は顔が見えないので)吹いている時の顔はどんなかと想像してしまうが、それは横笛でも同じだ。

篳篥(ひちりき)はとてもうるさくて、秋の虫で言えばくつわ虫のようで、あまり近くで聴きたくない。まして、へたに吹かれた時は、かなり気分がわるくなるが、臨時祭の時、天皇の御前に(楽人たちが)出て来る前、物陰で横笛がいい感じではじまっておもしろく聞いているうちに、途中から篳篥が笛に合わせて高く入って来るところは、すごくいい。
長く麗しい髪をもっている人の髪さえ逆立ってしまうくらいいい感じだ。
そうして、琴、笛が合わせて歩み出て来るところなんかは、すごくやばい。

とまあこんな感じです。

文全体の格調は変わりますが、今の人にもわかりやすい文章になるようです。趣があるという典型的な言い回しよりも臨場感が出るので、清少納言が感じていた実際の感覚に案外近いところもありそうです。

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