フラメンコの発展に大きく寄与したのは、インド方面からの放浪民族と言われるジプシーたちですが、ジプシーがスペインに記録上初めてやってきた日付は1447年6月11日。バルセロナ近くにしばらく野宿していたそうです。そして1500年代にはジプシーはスペインじゅうに行きわたり、すでに不信とさげすみの対象になっていたようです。
16世紀スペインを代表する小説家セルバンテスの「模範小説集」を見ると、「ジプシーというものは、男も女も、ただ泥棒をはたらくためにこの世に生まれてきたように思える」(ラ・ヒタリーニャ)とか、「あんた、スペインじゅうにたくさん奴ら(ジプシー)が散らばっているのを知ってるかい?奴らはみんな顔見知りで、一方から一方へ連絡し合ってるんだ。そして、盗んだものを、こっちからあっちへ、あっちからこっちへまわしてるんだ」(シピオンとベルガンサ)というひどい書かれよう。(ちなみにセルバンテスの小説は、当時の会話や世相を正確に描写することで有名です)
しかしこんなジプシーも、歌と踊りと詩では抜きんでていたことを示す描写がいくつもあります。プレシオーサという小説では、赤ん坊のときにジプシーに盗まれてジプシーとして育てられたプレシオーサという娘が、歌も踊りも即興詩もすばらしく上手で、「ビリャンシーコ、コプラ、セギディーリャ、サラバンダそのほかの詩をたくさん覚えていた。とくにロマンセは得意で、格別の妙味をこめて歌った」とか、「サンタ・アナの祭日に、一人のたいへん踊りの上手なジプシー男に率いられた八人のジプシー女が繰り出し、タンボリンとカスタニェータの音に連れて踊った」とか、「プレシオーサがひとりソナーハスを打ち振って踊りながら、ロマンセ(物語り歌)を歌って大勢の群衆の目と心をうばった」などと書かれています。
また、小説「ラ・ヒタリーニャ」の中には、金持ちたちが、芸のうまいジプシー女を屋敷へ呼びたがったり、良家の若者たちが、ジプシーの生活にあこがれて彼らの群れに身を投じる、などというエピソードも出てきます。
ジプシーが踊りに使う当時の楽器は大抵打楽器ですが、ジプシー暮らしをしている二人の若者がギターをとって交互に弾き歌うくだりも小説の中に出てきたりして、ルネサンスギターをジプシーが弾くこともあったことがわかります。
ジプシーは500年前から現代まで一貫して歌と踊りと詩の名手なんですね。蔑みの裏側で、一面あこがれの対象でもあったのです。
こんなジプシーの音楽性は、以後スペインに深く浸透していき、フラメンコを生んでいきます。フラメンコ自体はジプシーが東方から運んできた音楽ではなく、あくまでもスペインに元からあった音楽が元で、そこにジプシーが濃厚な陰影を付けて形成されていったものだそうです。
参考・フラメンコの歴史 浜田滋郎著