あれこれいろいろ

ズィルヤーブとウードとルネサンスギターとウクレレと

イベリア半島の音楽は、アラブ音楽、イスラム音楽の影響を強く受けています。イスラムの後ウマイヤ朝(756年~1013年)以後、700年にわたりイベリア半島はイスラムの王朝に支配されていたからです。700年間というのは半端な期間ではなく、本当はキリスト教文化圏だったのにイスラムに支配されていた期間があるというより、百パーセント完全にイスラムの地域だったという方が実態に即しているかもしれません。ですから、イスラム音楽、アラブ音楽のエッセンスは現在のイベリア半島の音楽につながるところが多々あるはずです。

ズィルヤーブはこのイスラム支配の時代にイベリア半島に渡ってきた音楽家で、アブール=ハサン・アリー・イブン・ナーフィイ(789年~857年)というのが名前です。821年に後ウマイヤ朝の君主アブドッラハマーン二世の宮廷に迎えられ、いわゆるアンダルス楽派の開祖となりました。要するにイベリア半島のアラブ音楽の大元の人と言えます。

ズィルヤーブは、リュートの元になったウードという楽器の名人でした。ズィルヤーブ以前の初期ウードは4コースだったのを、ズィルヤーブが5コースにしたとも言われています。アラブ世界では4コースには哲学的な意味があり、万物の4元素である土、水、空気、火をそれぞれ現わしているので、その数を増やすなんてとんでもないことで、それをズィルヤーブが勝手に増やしたものだから、師匠のイスハークが激怒して、ズィルヤーブはバクダッドの宮廷を追い出され、スペインのアンダルシアに逃れてきたと言われています。ほかにも、カリフの面前でイスハークより実力が上であることをことさらに誇示したりと、どうやらズィルヤーブは天才すぎて因習にも師匠にも伝統にも従わないので、はみ出さざるを得なかった人のようです。そのおかげで、イベリア半島に天才的で自由で革新的なアラブ音楽が導入されることになり、それが現代の西洋音楽にも影響を残していくわけです。

後にイベリア半島からはレコンキスタでイスラム勢力は駆逐され、ウードはもちろんのこと、その西洋的変化形であるリュートもイベリア半島では使用されなくなっていくわけですが、イベリア半島に深く浸透した音楽のエッセンスはそう簡単には消えなかったはずで、イベリア半島の音楽と楽器を考えるときには、イスラム音楽、アラブ音楽のことは心の片隅に置いておく必要があるのです。

ルネサンスギターは4コースですが、これももしかしたら初期ウードの4コースとつながるのかもしれません。もしそうなら、ウクレレが4弦であることも古代イスラムに繋がるわけで、ハワイ人もびっくりなお話になります。確証は得られないことですが、いろいろ想像は膨らみます。(^-^)

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