あれこれいろいろ

江戸元禄の楽器の流行

これは元禄9年(1696年)の「七種宝納記」という本に書いてあることですが、松江藩士の著者が娘にこのように注意しています。

「今時は武士町人百姓に限らず、身だいよきものはわが家業をばそこそこにしなし、琴、三味線をならうことを専一に心かける者多し、是は座頭、瞽女のなす業なり」

つまり、「今時(元禄9年ころ)は、武士町人百姓の身分を問わず、経済的に余裕がある者は仕事もそこそこにして、琴や三味線を習うことばかり気にかけている者が多いが、こんな楽器を弾くことは身分卑しい座頭や瞽女のすることだ(から武士の娘であるお前がするでないぞ!)」という内容です。

300年ほど時代を飛んで、1960年代ころの日本には、プレスリー、ビートルズ、ボブディランなど、様々なロックが流入し、エレキギターやアコースティックギターを弾くことばかり気にかけている若者が増えてきますと、昭和前期の親たちは、「こんな楽器はまともな人間が弾くものではない、こんなのを弾いていると不良になるからダメだ、どうしてもと言うならクラシックギターにしなさい」なんて、誰も望まない着地点に誘導されたりした時代がありましたが、江戸元禄の琴と三味線というのは、そういう親も眉をひそめる大流行楽器であったわけです。

この元禄時代というのは、ヨーロッパならバロック時代で、ヘンデルやバッハなどビッグネームが続々と登場するので、それと日本の音楽を比較すると、ヨーロッパは随分進んでいたのに日本の音楽は停滞していたように思われがちです。しかしこの時代のヨーロッパの音楽は貴族のものであって、庶民に音楽が大流行していた様子はあまり見られません。日本のように、あらゆる階級で楽器が流行していたというのは、かなり注目すべきことのように思われます。

音楽に感銘を受ける人の広がりという点で、江戸時代の音楽は大きな発展を遂げていた、と評価しても良いのではないでしょうか。その発展の功労者は誰かというと、ヘンデルやバッハのような大音楽家ではなく、七種宝納記の著者が非難と軽蔑の気持ちこめて「是は座頭、瞽女のなす業なり」書いていることが、はからずも大功労者を言い当てているように思われます。

動画 長唄 元禄花見踊