あれこれいろいろ

三味線が日本で弾かれた最初の記録

三味線は、沖縄の三線が本土に渡ってきて変化したものですが、三味線が日本で弾かれた最初期の記録には次のものがあります。(楽器の流入はこれより少し前の時代の永禄ころかと言われています)

・「御湯殿の上の日記」(宮中の女官たちによる当番日記)の1580年(天正8年)2月16日の記載…「山しろ」という名前の河原者が宮中で「しやみせん」を演奏した

・ 公家山科言経の「言経卿記」の1587年(天正15年)4月1日、1589年(天正17年)5月14日、1592年(天正20年)8月15日及び24日の記載…「梅一」「恵城」「福仁」という座頭が、平家物語、浄瑠璃のほか、しゃみせんを演奏した

おもしろいのは、演奏者が河原者・座頭という当時の最下層民で、鑑賞者が宮中・公家という当時の最高層であるということ。最高と最低をつなぐものとして芸能があり、そこに三味線が登場しています。

それからもうひとつおもしろいのが、これらの記録が全部天正時代であるということ。天正と言えば、天正遣欧使節団の少年たちが当時日本に持ち込まれた西欧楽器(クラヴォ、ヴィオラ、オルガン等)を次々にマスターして、音楽行脚と言ってもよいほどの渡欧の旅をした時代です。

当時の日本には、西欧楽器と沖縄の三線(その由来は中国)が流入して、これらをマスターする者たちが続々と出て、日本は音楽的大変換の波が来ていたのかもしれません。残念ながら西欧楽器はキリシタン弾圧と共に姿を消してしまい、三味線だけ残ったという流れになりましたが、西欧楽器と三味線の両方が日本に残っていたら、日本の音楽も随分違うものになっただろうと思うと、そんな別の流れの歴史から生まれる音楽も聞いて見たかったなあとやはり思います。

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