南米の音楽に貢献したイエズス会士二人をご紹介。
その一人が、ドイツ人会士のセップという人物。少年時代、ウィーン少年合唱団の一員として過ごし、19歳でイエズス会に入ると神学とともに音楽も専門的に学び、35歳から78歳までヤペユーの教化村に来てグアラニ族、チャルア族、ヤロ族などに音楽を教えました。各村から生徒がセップの音楽学校にきて、歌、オルガン、竪琴、リュート、ギター、バイオリン、チャルメラ、トランペットなどを学びました。またセップの指導のもとで、教化村の楽器製作も始められ、竪琴、バイオリン、クラヴィコード、ファゴット、縦笛、横笛、オルガンなどが作られました。
もう一人はイタリア人会士ドメニコ・ツィポーリ。イタリア後期バロック音楽の作曲家兼オルガニストで、後期バロックのイタリア音楽を南米にもたらして南米教会音楽に大きな影響を及ぼしました。彼は、ナポリでスカルラッティに、ローマではパスクィーニに学んだと言われており、ローマのジェス教会のオルガン奏者兼指揮者を務めました。作曲家としてもバッハやヘンデルと並び称されるほどでしたが、イエズス会士として1716年パラグアイに赴き、1717年アルゼンチンのコルドバに落ち着いて神学を学ぶ間、南米各地の教化村から選抜されて来た才能ある若者に音楽教育を施し、その中からヤペユーの音楽学校の責任者も輩出しています。ツィポーリが作曲した楽譜は、後にイエズス会追放の時代が来たときにほとんど失われてしまいましたが、最近、その一部がボリビアのチキトス布教地で発見されました。ミサ曲と詩編歌唱が二曲ずつ、入祭文が三曲、テ・デウムが一曲、オラトリオがいくつか、などです。また宣教オペラ、「聖イグナチオ・デ・ロヨラ」の三つの部分が、地方の史料に混じって保存されています。
このツィポーリによる南米ボリビア発のバロック音楽の一部がYouTubeで聴くことができます。