縄文晩期から、弥生時代、古墳時代にかけて日本各地で和琴が広く使用されていました。呼び名は様々、倭琴、日本琴(やまとごと)、鵄尾琴(とびのおごと)、東琴(あずまごと)、六絃琴、「むつのお」、神琴、天詔琴、書司(ふんのつかさ)、御多奈良之(おんたならし、おうたならし)などとも。
和琴は、一般に日本起源の日本固有楽器と言われますが、弥生や古墳という文化自体大陸の影響を受けていますから大陸と全く無関係とは考えられませんが、それでも、後に大陸から入ってくる琴(現代の琴に直接つながるもの)とは別系統の楽器として、古事記の時代から日本に根付いているものですから、日本の楽器と言って差し支えはないと思います。
上の写真は登呂遺跡出土の和琴を弾く埴輪です。ほかにも日本各地から和琴を弾く埴輪の出土例多数。背の高いものに腰かけている演奏姿勢まで共通しているのが統一的な儀礼様式を感じさせます。
琴そのものの残骸の発掘も日本各地から多数あります。わが一十舎がある宗像(宗像大社の沖ノ島)からも発見されています。次の琴出土遺跡分布を見ていただくと、琴が広く使われていたことがわかります。
出土場所と時代で内容にいくらかのバリエーションがあります。板作りのもの、槽作りのもの(コの字型の共鳴部分を作ってある)があるほか、弦数は4弦、5弦、6弦など数種あり、5弦がわりと多いようです。大きさは50センチ、60センチなど膝に乗るくらいですが、大きめのものもあります。材質はカヤ、モミ、杉、ヒノキなど様々ですが、ヒノキがわりと多いようです。
次回につづきます(^^
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