あれこれいろいろ

保育唱歌 明治はじめの幼児教育音楽の模索

明治10年から13年にかけて、約100曲の幼児教育のための唱歌が創作されました。正式名称「保育並ニ遊戯唱歌」、通称「保育唱歌」と言われます。作ったのは、宮内省式部寮雅楽課の伶人(楽人)たち。依頼したのは付属幼稚園を有した東京女子師範学校。保育唱歌の中には君が代が含まれていることでも有名です。

どんな曲が作られたかというと、例えばこんな曲(冒頭写真の楽譜)です。「風車」作詞者未詳・東儀季煕作曲。

簡潔な歌詞とメロディに洗練と風雅を感じます。

この依頼に先立ってすでに軍楽や吹奏楽など西洋音楽を伝習しはじめていた雅楽課の楽人たちは、幼児教育音楽の創作という新分野を依頼され、フレーベル式幼稚園教育書から参考となる西洋原歌を選定し、その翻訳をし、大意をとってそれに相当する日本の古歌を当てはめたりしながら、創作にあたったとのことです。

その楽譜は墨譜という名前の次のような形式で書かれました。(この写真は保育唱歌の中の別の曲チチコソ)。

上の動画の「風車」の参考とした西洋源歌は、「windmill」という曲であることがわかっており、その楽譜がこちら。

歌詞 See the windmill how she goes, While the wind so briskly blows,Always turning frcoly round ,Never fdlo is she found. (訳・ 風車の行く末を見よ、風がさっそうと吹く中、彼女はいつも勇ましく回っている)

メロディも歌詞もほぼ別ものですね。ただ、四分音符32個分というところは合わせたことがわかっており、これは保育唱歌の中でも「遊戯唱歌」という位置付けであったようなので、遊戯にリズムを合わせたということでしょうか。

雅楽と西洋音楽では基本語法が異なりますから、西洋式の唱歌を作れと言われた楽人たちは頭を抱えたのではないでしょうか。能楽師にバレエを踊れとでもいうようなもので、そんなことはまず不可能。保育唱歌が結果として非常に雅楽風になったのはやむを得ないことでしょう。それでも音の動き、拍子、伴奏楽器などについて、従来の雅楽の様式を踏み越える工夫がみられるそうで、和洋折衷を試みた楽人たちの苦労のあとがしのばれます。

現在では創作されたこれらの曲はほとんど歌われませんが、この簡潔で気品あるメロディを埋もれさせておくのはもったいないので、現代の様々なジャンルの音楽家が多様に復活させてくれたらきっと面白いと思います。日本版「風雅(フーガ)の技法」なんちゃって(;^_^A

参考・保育唱歌の論文「明治期新作雅楽唱歌(保育唱歌)の音楽的性格」(本多佐保美氏)がこちら↓

https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900024549/KJ00004297071.pdf