あれこれいろいろ

縁起のよい瞽女さん 縁起の良い音楽

瞽女さんに対する扱い方は地方ごとに色々で、種々の旅芸人や乞食や山伏などと一緒に移動取締りの対象にされることも珍しくありませんでしたが、越後国では縁起の良い存在として歓迎されていました。

瞽女さんを自宅に泊めることは、村にとっても家にとっても縁起か良く、逆に宿泊を断ると不吉なことが起こると考えられました。各地に点在する瞽女宿では、瞽女さんを泊めることは名誉なことで、瞽女さん専用の布団、食器、食器棚を備え付けて、瞽女さんの来訪をいつも準備していました。

また瞽女さんの存在と音楽は、養蚕、安産、治病に縁起の良いものと人々に考えられていました。特に養蚕が盛んな地域では、瞽女さんは蚕棚に案内され、蚕に歌を聴かせたり、蚕棚の間で食事をしたり、蚕棚の間に良い布団を敷いて寝るなど、養蚕の成功を瞽女さんからあやかろうとしました。瞽女さんも、養蚕に関係する唄のレパートリーとして、「春駒」「お棚くどき」「蚕祝い」などを持ち、村人の期待に応えました。

瞽女さんが門付けで家々からもらい受けた米は「瞽女の百人米」と呼ばれて霊力のあるものと考えられ高く売れましたし、家に瞽女さんを百人泊めればその家の魔除けになり、家に余慶があるとされました。

瞽女さんが使い古した三味線糸も吉とされて人にやると喜ばれ、瞽女さんの杖や所持品もありがたく、さらには瞽女さん本人も霊力がつくものと考えられました。

このようになんでもかんでもありがたい瞽女さんは、西洋ならまるでマリア様のよう。このような宗教観に支えられて、越後付近では、瞽女さんの文化が昭和まで続くことができたのでしょう。

「縁起のよさ」「大吉な感じ」というのは、音楽の広がりや継続性にとって案外重要なファクターで、じっくり研究してみる価値がありそうです。

冒頭の写真は、映画「ふみ子の海」の瞽女宿のシーン

参考・瞽女うた ジェラルド・グローマー著

 

 

RELATED POST