あれこれいろいろ

エチオピアの吟遊詩人アズマリのほめ歌

エチオピアの吟遊詩人アズマリ。人々の侮蔑を受けながら聖性も具有する詩と音楽の民。

中世以来日本の放浪芸人が様々な祝福芸を携えて歩いたように、アズマリも祝福芸を得意とします。「エチオピアの吟遊詩人 川瀬慈著」に、アズマリの祝福芸のひとつとして、ほめ歌の様子が具体的に紹介されていて、非常に貴重です。

アズマリは、一弦の弓奏楽器マシンコを手に稼ぎに町に出て、祝祭や酒場や結婚式やの人々の間で陽気に歌い出します。

「美しいお嬢さんよ お元気ですか 勇ましい勇者たち 心優しき友よ ああゴンダール(町の名) ゴンダール なつかしの故郷 町をぶらり歩けば胸が高鳴る ああなつかしのゴンダール ……」

リズムを取りながら、高速に小気味よく、町や人々の魅力を歌うと、おもむろに即興パートに入り、ターゲットに決めた人のほめ歌がはじまります。ターゲットの情報(名前、身体的特徴、職業など)は、演奏の前や演奏しながら、本人や周囲の人から聞き出しておきます。

突然歌のターゲットにされた若い女性は、迷惑そうにしますが、美しい褐色の肌をほめられ、整髪料の香ばしいバターの匂いをほめられ、キャラメルのようにスゥイートな心をほめられ、いつしか照れ笑いになります。歌はその女性の隣にいる青年に移り、青年は19世紀の勇者にたとえられ、皇帝の末裔にでっち上げられ、苦笑いしながらも悪い気はしないのです。

アズマリが展開するほめ歌に触発されて、興に乗った聴衆から、ほめ歌の即興詩が投げられることもあります。それは大概はその場にいる友人をほめて鼓舞する内容で、アズマリはそれを一字一句間違えずに繰り返して歌に乗せ、場を一層盛り上げます。

こうして、集めていた情報と、見た目と、でっちあげとをないまぜに、盛大な誉め歌で皆を気分よくさせていくと、うまく行けば興奮した人々は、互いに向き合って肩と首を揺らし体全体を波打たせるイスクスタの踊り(eskista dance) が始まります。そしてうまく行けば、客は紙幣をペロリと舐めて、アズマリのおでこにペタリと貼ってくれるということになるわけです。

「エチオピア高原の吟遊詩人」の本には、子供の洗礼式の宴席に招かれたアズマリの即興のほめ歌の内容も紹介されています。

「さあ我らがミキ 前に出よ 彼のおしゃべりは愉快だが 実はけっこう大切なことを言ってる 父と母の祝福を受け 暑い場所に行こうが 寒い場所に行こうが 大丈夫 ミキの人柄には欠点がない フッスハ(ミキの友人)とともに彼(ミキ)は幸せ 生き生きとしている 見た目もチャーミングさ ……」という具合にどんどん誉め言葉が続き、ミキは全人類とつながる人だというところまで行くと、ほめ歌は隣のインド人に向けられ、その次は本の著者までターゲットになるという具合です。

具体的なほめ歌の展開がわかるのはとても貴重な情報です。

日本の中世の賎民たちの祝福芸がどのように展開したのかはわからないことが多く、現代に伝統芸として伝わるものは儀式化様式化してしまって、生き生きとした即興性は失われていることが多いわけで、そのような中、今まさに生きている祝福芸は、人類の宝のように思えます。

マシンコの伴奏とイスクスタの踊り↓

 

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