藤原明衡(989-1066)が平安時代後期に書いた「新猿楽記」には、当時の庶民の様子が活写されており、とある祭礼に登場する様々な芸人が列挙されています。新猿楽記は有名な源氏物語と同時代の書物ですが、みやびやかな王朝文化世界の外側にはこんなにも多彩なワンダーランドが広がっていたとは驚きです。その様子はカーニバルのようで、平安時代のイメージがちょっと変わります。
新猿楽記は、主人公の一族打ち揃い、京の町の祭礼の猿楽見物に出かけるという話で、そこを起点に庶民の様子が次々と紹介されていきます。
では新猿楽記の書き出しを現代語訳でどうぞ。
私は二十何年来、東の京、西の京を見てきたが、今夜見物した猿楽は、古今を通じて比類ないほどのすばらしさであった。
特に兜師(すし)、こびとの舞い、田楽、傀儡子、唐術、品玉、輪鼓、八玉、ひとり相撲、ひとり双六、骨なし、骨あり、延動大領の腰支、えびすき舎人の足仕い、氷上専当の取袴、山城太御の指扇、琵琶法師の物語、千秋萬歳の酒祝、抱腹鼓の胸骨、蟷螂舞の頸筋、福広の聖の袈裟求め、妙高の尼の襁褓乞い、刑勾当の面現、早職事の皮笛、目舞の老翁体、巫遊の気粧顔、京童の虚佐礼、東人の初京上り。
ましてや、拍子をとる囃子方の男たちの熱気や、猿楽を宰領する猿楽法師の手慣れた様子、すべて猿楽のわざや言葉のやとりとのおもしろさは、はらわたもちぎれ、あごの骨もはずれるばかりに笑いこけさせないものはなかった。
たくさんの種類の芸人が出てきました。ひとつずつ簡単に説明すると、こんな芸人たちです。↓
・呪師(のろんじ):剣を振り回し、走り回る芸
・侏儒舞(ひきうとまい):小人による舞
・田楽(でんがく):田植えの際に行う田儛(たまい)に関連するもので、永長年間(1096-1097年)に平安京で大流行。
・傀儡子(かいらいし、くぐつし):狩猟を生業とし、漂泊した芸能集団。人形遣いだけでなく、男は剣術芸や奇術も行った。女は歌謡や売春を行っていた。
・唐術(とうじゅつ):唐よりもたらされた奇術や幻術。
・品玉(しなだま):品物を現代のジャグリングのように飛ばす芸。
・輪鼓(りうご):鼓の形をしたもの(中央部がくびれた筒状のもの)を、二本の棒に結びつけた紐の上で回しながら転がす芸。
・八玉(やつだま):品玉のうち、玉を飛ばす芸。
・独相撲(ひとりすまい):本来二人で行う相撲を一人で演ずる芸。
・独双六:人形を使って双六をする芸。
・無骨(ほねなし):諸説あるが、骨のないように軽業をする芸か。
・有骨(ほねあり):荘重な舞という説、または隆々とした筋骨や怪力を見せる芸という説がある。次は、ものまね、演劇、文学的要素の強いものたち。↓
・延動大領の腰支(えんどうたいりょうのこしはせ):腰支とは腰つきのことで、郡の長である大領のもったいぶった歩き振りをまねたものか。なお、「延動」を独立した芸能のひとつとして捉える説もある。
・蝦漉舎人の足仕(えびすきとねりのあしつかい):川に入ってエビを取る舎人(小者)のこっけいな足取りをまねたものか。
・氷上専当の取袴(ひかみせんどうのとりはかま):氷上は丹波国氷上郡氷上(現兵庫県丹波市)、専当は寺院の事務係。その事務係が袴を持ち上げて太股をあらわにしている様子を表現する芸。
・山背大御の指扇(やましろおおいごのさしおうぎ):大御は大姉御のこと、その大姉御が取袴の様子を見て恥ずかしげに扇をかざしている様子。
・琵琶法師の物語:琵琶法師の様子を滑稽に真似る芸
・千秋万歳の酒禱(せんずまんざいのさかほかい):千秋万歳は、新春に各戸を廻って寿詞を唱え、祝儀をもらう雑芸の者。酒禱はもともと酒宴で互いに祝言を唱えること。ここでは新酒を醸す際の祝いのはやしをまねたものか。
・飽腹鼓の胸骨(あいはらつづみのむなほね):満腹して腹鼓を打つ際の胸骨の動きを面白く見せたものか。
・蟷蜋舞の頸筋(いもじりまいのくびすじ):蟷蜋はかまきりのこと。かまきりが鎌をもたげて首を振る様子を真似たものか。・福広聖の袈裟求め(ふくこうひじりのけさもとめ):豊なはずの上人様が、袈裟を新調しなければならぬのでと喜捨を乞うて歩くさまのおかしみを演じた軽演劇か。
・妙高尼の繦緥乞い(みょうこうあまのむつきこい):徳の高い尼さんが襁褓の布を乞い歩くという醜聞を風刺する出し物か。
・形勾当の面現(けいこうとうのひたおもて):何らかの役職のものが軽率に顔を出した滑稽を演ずる物まねか。
・早職事の皮笛(そうしきじのかわぶえ):慌て者の蔵人が笛の役にあたって笛を忘れ代わりに口笛を吹くという滑稽物まねか。
・目舞の翁体(さかんまいのおきなすがた):老楽師のおどけた舞姿か。
・巫遊の気装貌(かんなぎあそびのけしょうがお):遊女巫女たちが化粧して男待ち顔の様子を演出したものか。
・京童の虚左礼(きょうわらわのそらざれ):京の町の盛り場のやくざじみた若者たちが、洒落を飛ばしたり、旅人をからかったりする様子を演じたものか。
・東人の初京上り(あずまうとのういきょうのぼり):田舎から京に出てきて、見るもの聞くものに驚く様子を演じたものか。
以上のような芸人が続々登場して、人々がどっとわいて、笑いこけたり、拍手したりという活気を想像すると、平安時代の庶民の今と少しも変わらない様子が彷彿とします。様々な下らない物まねや軽演劇が羅列されていますが、「ビートたけしのコマネチ、とにかく明るい安村のはいてますよ、イグジットの渋谷のちゃら男」などと現代の出し物を思い出して並べて書いてみれば、なんだやってることはさほど変わってないなということが実感されます。
平安時代の庶民芸の実際と活気がこんなに具体的にわかるなんて、新猿楽記という本の価値は源氏物語に劣らない、と思う私は少数派だと思いますが、平安時代の人々の活気が宝物のように感じられて、やっぱりすごい本だなあと思うしだい。藤原明衡という人は、古今の文学を深く研究し知り尽くした人らしいのですが、当時の文学界の主流から離れていることが分かっていても、庶民のあけすけな姿をあえて書物にとどめたいと思ったところに共感を覚えます。