これでもかと埋め尽くす楽器の装飾を見ていると、どうして人は楽器に装飾するのだろう? などと思ったりします。
なにしろこれらの装飾は、音にも弾きやすさにもさほど貢献していないのです。持ち運びや維持管理も手間がかかるようになり、楽器が壊れやすくなったり、重くなったり、振動を阻害したりと、負の要素も多いのに。
きっとこれらの装飾は、豊穣、神の力、宇宙の真理や自然の調和などの象徴を楽器に一体化させ、時には人の地位や権力も表象しているのでしょう。人の心からの願いやあくなき探求心、そして限りない欲望などがないまぜになって、楽器の表面を埋め尽くしているかのようです。
他方、装飾のない素朴な楽器も世界にはたくさんあります。それらはまた素朴さや簡潔さ、あるいは純粋な機能性という価値を表象しているのかもしれません。
人類はこれら両極端の価値の間を往復しながら揺れ動いて振動している生物なのでしょうか。そんな振動もまたどこか音楽的です。