あれこれいろいろ

ギターラ・モリスカとギターラ・ラティーナはどう弾かれていたか 強いプンテアードとやわらかなラスゲアード

上の絵は前にも紹介したことがある、13世紀の「聖母マリアのカンティガ集」の挿絵で、向かって左の楽器がギターラ・ラティーナ(ラテン風ギター)、向かって右の楽器がギターラ・モリスカ(モーロ風ギター)。イスラム王朝下の中世スペインでは、このヨーロッパ系とイラスム系の二種のギターが共存していたことはつとに有名。

このふたつのギターラの競演では、弾き方の役割分担があったようで、そのことについて書かれているひとつが、詩人ホアン・ルイス(1283頃~1350頃)が書いた「よき恋の書」の次のくだり。

あそこへ叫びながら出てきたものは、ギターラ・モリスカ

かん高い声、とげとげしい音、がたぴしと音立てる太っちょのラウード(リュート)

こんな手合いにはしっぽを巻くのが、ギターラ・ラティーナ

真ん中のラウードについては、この時代のリュートがプレクトラム(細長いピック)で弾かれていたので、こういう強い音の表現になっているようです。問題は、最初と最後の二つの表現ですが、1950年ころ、エミリオ・プホールは、「ギターラ・モリスカは騒々しくラスゲアードで、ギターラ・ラティーナはものやさしくプンテアードで弾かれた」と解釈しています。

これと逆の解釈なのが、あのスペイン最大の作曲家と言われるファリャで、1922年にこう書いています。「マエストロ・ペドレルはその『古いスペインの楽器学』の中で、ギターラ・モリスカが今なおアルジェリアやモロッコで、キトラの名とともに用いられ、プンテアードで弾かれていると断言している。それに引き換え、カスティーリャの(つまりモーロ風でなく純スペイン風の)ギターの古来の奏法は、こんにちもなお民衆が守り続けているような、ラスゲアードであった。モーロ系のギター奏法が、昔も今も〔スペインのラウード、バンドゥーリア同様〕メロディ中心であり、スペイン₌ラテン系のそれがハーモニー中心である-なぜならラスゲアードではただ和音を生むことだけが可能だから-理由はそこにある」

これら二説を受けて、「フラメンコの歴史」の浜田滋郎氏は、「私の個人的意見は、アラビア₌モーロ系の音楽が主としてメロディとリズムによって成り立ちハーモニーをあまり考慮に入れていないこと、ラスゲアードの大前提となる『三和音的和声の感覚』そのものがヨーロッパのものであることなどの観点から、後者、ファリャの説に傾く。それに、爪又はプレクトラムで強く鳴らされる単音のメロディが、指先でアルペッジョ風に鳴らされる和弦-つまりやわらかなラスゲアード-より(ホアン・ルイスの詩にあるように)甲高くとげとげしく響くことは十分にありうるのだから。ラスゲアードの方がプンテアードより『やかましい』と考えるのはひとつの先入観といえないだろうか」と書いています(結論は急ぐまい、として断言は避けておられます)。

ファリャ氏と浜田氏の説は確かに説得力を感じます。最近私は丁度ジプシーのフラメンコを色々聞きくらべていたのですが、ジプシー音楽は歌も踊りもギターも極限まで激しく陰影がくっきりするのが魅力で、ラスゲアードの弾き方の激しいイメージは、フラメンコの強烈さに自然引っ張られているかもしれません。指先でやわらかく鳴らすラスゲアードの方が、元々のラスゲアードに近そうです。

ギターラ・モリスカやギターラ・ラティーナが使用された中世から時代を下り、16世紀のルネサンスギター以降の時代になっても、庶民層ではラスゲアードでさかんに弾かれていたらしいと以前にも書きましたが、そのラスゲアードも「やわらかな」方向に少しイメージ修正しといた方が良さそうです。

参考・「フラメンコの歴史」浜田滋郎著

バロックギターのラスゲアード。やわらかい。↓

ウードのプレクトラムの演奏 強い↓